デザイナー羊男の毎日

日常の「気づき」のおはなし。ごゆっくりどうぞ。

沈黙がコワイ人たち ~電車の中で思ったこと~

勤務シフトが変わり、週2日くらい会社に通う日々です。

外に出るのは好きなのでそれはいいのですが、いかんせん遠い。私の住む葛西(東京の東の端)から会社のある横浜までお江戸横断です。電車だけでもたっぷり1時間余りですから「どう時間を使うか」が切実な問題です。

実は移動は好きだしアイデアの源泉でもあるので大事にはしたいところなんですが。

あまり長いと疲れてしまいます。

 

電車の中で見た二人連れ

難聴を気にして最近は電車で音楽を聞いていません。スマホを買い替えてBluetoothのイヤホンを買いそびれたのもあります(イヤホンジャックがない)。

で、読書とかスマホを見たりになるのですが、車窓から景色を眺めたり電車の中の乗客をなんとなく観察したり…。これはアイデアの源泉の一つです。

先日は、川崎あたりから乗ってきたちょっとクリエイティブな業種の男性(私の想像)2名が私の前の席に座りました。

この二人、とにかく、ずーっとしゃべっているんです。同僚なんですかね。

 

コロナ禍ということもあり、あまり話している人がいない中でけっこう目立っています。

それがイケナイというような話ではなく、「ああ、こういう状況ってあるよな」と自分も思い当たる節があるなと考えていました。

会話が盛り上がって話がとぎれないというよりも、沈黙になるのがイヤで10秒でも黙っていると何か話を切り出してしまう。たぶんこの二人も会社内でそんなにしゃべってる間柄じゃなさそうです。「二人で電車の中」という状況がそうさせるのでしょう。

 

沈黙は金なり

私も上司と出張で新幹線で二人とか、部下や同僚と遠出とかありました。

「沈黙になると気まずい」と思うのはまだ打ち解けていない間柄のときで、ある程度関係性ができてくると沈黙が気にならなくなります。

ちょっと仕事の話や世間話をして、10分くらい黙っていても平気。相手がスマホを見ていても全然大丈夫です。

そういう意味では、先ほどの二人はまだ「こなれた」関係ではないと推察できますね。それは、会話の長さではなく沈黙の長さで測れるのです。

もちろん、話が盛り上がっているときはそれはそれで楽しいと思います。でも案外「仲がいいかどうか」は沈黙がこわいかどうかで決まると思うのです。

茶店でずっとしゃべらずにいるカップルなんかは、まさにそうですね。

 

さいごに

まことに大きなお世話なお話でした。川崎から乗ってきたお二人さんも本当は仲良しかもしれないですし。

「話す」って人のコミュニケーションではわかりやすい方法ですし、つい「話さなきゃ」って逼迫感にかられることがあるよなあって話です。

では、今日はこのへんで。

 

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湯シャンをここ2年くらい試した結果 ~やっぱりシャンプーは必要?~

今週のお題「お風呂での過ごし方」

お風呂は私にとって「切り替えスイッチ」みたいなものです。仕事を終えて→少しのお酒を飲んで→晩ご飯食べて→テレビを見ながらウトウト→お風呂→自分の時間→就寝というサイクルの中でとっても大事なアイテムなんです。

自分の時間と言っても、ほんのわずか読書したりブログ書いたり動画見たりなんですがスイッチがないとうまく気持ちが変わらないのですね。

身も心もさっぱりリセットできる気がするし、夕方からのカスミ目がもとに戻ったような(錯覚?)…。

 

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安心してください。ちゃんと洗っていますよ

だからといって、お風呂タイムをおろそかにしているワケではありません。

ルーティンとしては、湯船に漬かり→体洗って→頭洗って…おっとここが今日のポイントです。ここ2年くらい「湯シャン」を試しているのでした。

要するにシャンプーを使わないで「湯」だけでしっかり洗うのです。

「じゃあ、シャンじゃないじゃん」というツッコミはなしでお願いします。

抜け毛が気になったのが主な理由ですが、全くシャンプーしないかというとそうではなく、3~4日に1回はシャンプーで洗っています。

 

「湯シャン」のメリットとデメリット

メリットとしては、

・シャンプーを使わないので、過剰な皮脂の洗い流しによる頭皮乾燥トラブルが防げる

アトピーや湿疹系のトラブル解消

・抜け毛予防

 

そしてデメリットは、

・脂っぽい肌に向かない

・整髪料(ムース・ワックス)が残りやすい

・つやがなくなる

 

お気づきの方もみえると思いますが、「湯シャン」は人によって向き不向きがありますね。あと、よっぽどしっかりと汚れを洗い流さないと逆効果になりそうです。

 

さて、結果はいかに?

上記に気をつけつつ2年試した結果ですが、以前より髪が太くなった気がします。

私は3~4日に1回シャンプーを使うハイブリッド型なので、つやも思ったより気になりません。さらにテレワークで出勤が減ったことで、外出しないので整髪料(ワックス)もあまり使わず問題なし。条件に合えば、けっこうオススメです。

そうそう、季節的には夏はシャンプーの頻度は高くしたりはしていました。

それでも(細かい話ですが)シャンプーの量が減って家計に優しいのも付け加えておきます。

ただ、やはり個人差はありますので合わないようなら戻した方がよいかもですね。

 

アイテムも変わってきました

デメリットで触れませんでしたが…。

シャンプーによる「ドライヤーの乾きがいい」「サラサラヘアーが気持ちいい」というメリットが得られないということもあります。

薬用のものやスカルプ系のシャンプーであれば毎日でも問題ないかも。

私も最近使っているシャンプーはノンシリコンに変えたりしていますので、今回のおためしも単純な比較ではありません。

また、テレビCMでもおなじみの「マイクロバブル」のシャワーヘッドも気になるところです。月々500円というのも出てきましたし。

これからもいろいろ試して、ベストを見つけていきたいな。

 

 

美しいという文字は‥ ニックネームを羊男にした理由は

仕事が忙しくなってきました。ありがたいことです。

ブログも少々肩の力をぬいていこうかと、前の記事をリライトするという策にでます。「長距離走」になるのですからペース配分も考えなくては…。

 

突然ですが、「美」という文字の由来をご存知ですか?

「美」を上下にばらすと、「羊」と「大」。昔の中国では羊は大変重宝な家畜だったようで、毛は衣服に肉は食用にと捨てるところがないくらい。

で、そんな重宝な羊が大きかったら、人々はみんなで分け合って役立てることだろう。

この、「みんなで分け合って」というところが「美しい」ということなんです。

所説あるのかもしれませんが、いい話じゃないですか?単に見た目のことではなくて、人の気持ちの在りようを言っているのがいい。

 

50歳を過ぎたあたりから「昔の人はいいこと言うなあ」と思う機会が増えました。

ことわざや故事成語、名言の数々も長い歴史の中で生成されたものなので、滋味にあふれ洗練されているのもうなずけるわけです。

 

語弊があるかもしれないけれど、女性の美しさにも同じことを感じます。

そりゃあきれいなおネエさんは最高ですが、人としての魅力に裏付けされたものでなくては台無しです。というか、心のきれいさや意思の強さ、性格の個性なんかはもろに顔や佇まいに表れると思うのですが、いかがでしょう。いかがでしょうって言われても困るか…。

 

ついでに言うと、女性の美しさのベンチマークは時代によって変わっているのは有名な話です。ふくよかな人がいい時代、痩せた人がいい時代。これは子孫繁栄と関係があって、昔は子どもをたくさん産めそうなふくよかな人がもてたんだそうです。じゃあなぜ昨今の「スタイルのいい」人がよくなったのか?これも所説ありますが、欧米の影響でしょうね。ではなぜ欧米が?

クイズです。ちょっとだけ考えてみてください。

 

わかりました? 欧米では年を取ると肥満の傾向が高いんです。で、生殖能力の高いのは若い人=痩せている人 という構図ができあがった訳ですね。まあ今は多様化の時代なので人それぞれなんですが。

 

こんなことを知った風な感じで書くのは私らしくないな。

「美しさ」がいかに内側から発信されるものかは、そんな例を引かなくてもわかります。

デザイナーとして「美」を考えるときに忘れてはならないことです。

 

誰が言ったか忘れたけれど、ここに私が感銘を受けた名言を書いておきます。

「悲しいから泣くんじゃない。美しいと感じたときに涙が出るんだ」

 

最後に

前の記事をリライトしていて「前の俺、案外悪くないじゃん」と思ってしまいました。もうちょっとヒドイかと思っていたので。

でもそれなりに時間はかかりますね。けっこう楽しかったので、またリライトもしていきます。では。

 

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なぜ、結婚するのでしょうね?

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厚生労働省 平成28年度「婚姻に関する統計」

少々データが古いですが、このグラフが表す婚姻数と婚姻率の下落には深刻さを感じます。私事ですが、娘が結婚する運びとなり調べてみました。

当然、出生率にも影響を与えることなので憂慮すべきなのは間違いありません。

でもまあ「もっと結婚しろよ」と声高に叫んでも仕方ありません。

あ、よく見ると再婚件数は上がっているんですね。ここから読み取れることは?

 

初婚の人の結婚に対するハードルが上がっている

再婚の件数が上がっているのだから、結婚経験者は(離婚はしたものの)その良さは認めているのだとわかります。問題は未経験者が結婚の必要性に対して懐疑的になっているということでしょうか。確かに、ウチの娘もぼやいています。

「なんで結婚するんだろう」って。これはマリッジブルーなどではなく、素朴な疑問だと父は受け止めました。

「なぜ勉強するんだろう」「なぜ仕事しなくちゃいけないの」と並ぶような疑問ですね。明確に答えられる方みえますか?

 

結婚は面倒くさい?

結婚する以前は実家に住んでいるか一人暮らしというのがほとんどです。

実家暮らしは本当に便利。上げ膳据え膳、お風呂湧いてます、お金が自由に使えます。一人暮らしはちょっと寂しいし家賃のことがあるので一見結婚へ前向きになりやすいようですが、気ままさに味をしめてしまうと面倒になるのかもしれません。昨今そんなに不自由もないでしょうしね。

「結婚しない(できない)理由」は他にもあるとは思います。出会いが少なくなったり、ご縁がなかったり。でもマッチングアプリとかも出てきているので、全くマイナスばかりとは限らない。やはり「面倒」というのは大きな要因と考えられますね。

 

賢くなると結婚できない

結婚はコスパで考えると、採算が合いません。コストとはお金だけではなく気を使ったりやることが増えたりも含みます。これに対するメリットって?

冷静になるほど遠のくのが結婚なんですね。「考えている」うちはできないので、どこかで「えいやっ」っとやるしかないのです。ちょっと牧歌的な言い方になりますが、「好きだからこの人と一緒にいたい」以外に理由なんかないです。

別にいろいろな生き方があってもいいんです。

私はたまたまご縁があって結婚していますが、そうでない人生も悪くはないと思います。多様化を持ち出すまでもなく人それぞれの見識というものがあり、一概に言えないところが現代の特徴であり面白さでもあると思いますから。

ただ一つ言いたいのは、結婚には「自分を幸せにする」だけじゃない可能性が多いということ。

配偶者や子供ができると、自分はある意味メインステージから降りることになります。簡単に言うと主役じゃなくなる。

「人のために生きる」ということを別の喜びにとらえられるのなら、いいんじゃないですか?結婚。私は「それも悪くない」と思っています。

モテる男はなぜモテる?

みなさん、モテてますかー?

そうでない人もそれなりにモテるように、タイトルのようなことを解明すべく書き始めました。ちなみに私はモテません。説得力ゼロです。

「根拠を求めるんじゃない、ただ感じるんだ」そう思いませんか?

 

モテキは3回

人生で3回、モテ期はくると言われています。みなさんも思い出してみてください。

そういえば、モテない私でも2回くらい「え?」と思うくらいはちやほやされたり妙に女性とご縁が多かった時期があります。一回目は20歳、次が25歳くらいかな。かなり遅咲きの人生ですね。逆に言えば、それまで「意欲はあっても結果が付いてこない」平たく言えばモテないくんだったわけです。

20歳まではいろいろあがいてもうまくいかず、恋愛に疲れていました。とにかく声をかけまくったり、知りあいを手当たり次第にデートに誘ったり。結果はまったく成果なしで、彼女がいる友達にからかわれたりして友人関係にヒビが入ったりしてました。踏んだり蹴ったりです。「もう、どうでもいいや」と趣味や仕事に没頭し始めたときに一回目のモテキ訪れました。コチラから何もしなくても、出会いが巡ってきて向こうから声がかかる。うそみたいでしたね。

二回目は、女性(後の妻)と付き合いだした頃です。会社関係が多かったような気がしますが、そこはモヤっとさせておきましょう。

モテは錯覚から

さっきテレビの初耳学で林先生が言っていました。演技の話だったのですが、「俺の話を聞け」という態度になったら観客はヒキます。女性にモテる男はそれをよく知っていて、さりげなく話をしていて、いつの間にか女性の心をつかんでいるんだという話。

「そうだよなあ」と意を強くした私でした。

私の数少ない経験では役者不足ですが、恋愛から距離を置いたことが結果的によかった気がします。なんとなく「ガツガツした男」は自然に敬遠さるのじゃないかと。

あと、やっぱり仕事やスポーツ(当時はスキーやテニス全盛でした)に汗を流す男性のほうが魅力的に映ったのかもしれません。目の錯覚ですね。

さらに付け加えるなら「心の余裕」です。逆説的ですが、「どうでもいいや」と思えたら心に余裕ができます。「うまくやらなきゃ」という緊張から解放され、人として会話を楽しむことができるのがいいんでしょうね。

 

でも、ただ待っていてもたぶんダメで、一度はガツガツすることも大事なんじゃないかな。一度振り切ってみて、見えてくることが必ずあるはずです。

 

大して参考にはなりませんが

ニュースなんかでは、若年層の結婚願望が希薄になっているとか。そういえば恋愛も淡泊になっているような印象を受けますね。私の若いときなんか目がハート形になっていたものです。

「恋をしようぜベイビー、素敵な恋をMay be」佐野元春も歌っています。

私はもう恋愛の現役選手ではありませんが、まだモテたいと思っていますよ。

あ、へんな意味ではなく、人気者でいたいという事ね。

これが原動力の一つですからね。

では。

 

 

正しいブログ ~コロナ渦で思ったこと~

今、これを抜きにして何も考えられないくらいに、コロナは生活に入り込んでいます。ワクチンのおかげか、10月10日の時点では東京の感染者数100人台になってはいます。これからどう変わるかわからないので一応記しておこう。

こんなことを言っても仕方ないとは思いますが、なぜ2021年の今、コロナが現れたのか?時代の巡りあわせを不思議に感じています。

深夜2時21分にふと思ったことを書く。これってブログとして非常に正しい姿勢ではないかと思いました。

翌朝読んで、「違うだろう」と思うかもしれません。でも、その時その時が私の人生だから一片の悔いなしですよ。

 

今青春を迎えている人たちは本当にかわいそうだと思います。今日ね、お台場に行ったらマスクをして手をつないでるカップルがいたんですよ。いわゆるデートってやつですよ。今そんな言い方しないか?まいいや。

マスクはもう当たり前になってるんですが、邪魔ですよねえ、どう考えても。

お祭りやコンサートにも普通に行けないし、飲みに行くことも遠慮しながら。食事だってアクリル板をはさんでだったり。もう慣れちゃったのかな。

自分が若い時分にコロナが流行ったらと思うと、やりきれない気持ちになりましてね。

私が若いとき

例えば私が18歳のときに何してたんだろう?と振り返ってみました。(ちょっとお恥ずかしいですが)

世間ではディスコが流行っていたんですよ。ディスコってわかります?歴史の教科書ではでてきませんよね。暗くて広いフロアにミラーボールがぶらさがっていて、その下で洋楽に合わせてみんなで踊る施設です。私も友人に誘われて数回行きました。そのうちの何度かはナンパ目的だったことも付け加えておきましょう。

消してしまいたい過去は誰にでもあるはずです。「踊る」っていっても、ブラブラ手足を動かしているヘンテコなものだし、俺なにやってたんだろう。しかもナンパ目的って。そうだ、女の子を連れて行ったこともあったっけ。なつかしいような、ちょっと「うわあ」って赤面するような。

もうすべてが恥ずかしいです。

でもあの時期にコロナがあったら、それらはすべて幻想なんですね。

歴史にタラレバを言ってもしかたないのですが。江戸時代に日本にコレラが流行ったように2020年にコロナが流行った事実は動かすことはできません。

ただ、そういう動かしようのない時代の流れの中で自分たちは生きているし、何かを選択しているんだなあと感慨にふけっていたのでした。

 

今日はここまで

会社の飲み会で若い人に「若い頃のこと」を聞かれて、気を使われているような気分になったことがありますが、自分から語るのはあまりないです。

備忘録でもないし日記でもないヘンな記事ですが、2021年の10月にこんなことがあってこんなことを考えていたんだなと。

それだけです。では。

 

 

 

 

ハルキ文体について ~あるいはムラカミ文章の変態性に関する考察~

他の方のブログで「村上春樹は文章のリズム感を大事にしている」という記事を読み、すごく腑に落ちたというか、納得しました。

今の1文。お気づきになりました?

「腑に落ちました」で終わってもよかったのですが、もう少し伸ばしたほうがリズム的にいいかなと思ったのです。ちょっと音楽的な考え方ですが、息継ぎや拍子がとりやすい句点の打ち方や文節の長さがあるんですね。たぶん。

私は音楽はズブの素人なので理論的に言えませんが、文章はたくさん書いているほうなので感覚的にはなんとなくわかります。

でもコントロールはできないんだな、これが。だからブログにもムラがあります。

うまくリズムに乗れているときは、筆の進みもいいし、あとから読んでも気持ちいい。この気持ちよさが内容よりも大事だったりします。

思えば村上春樹の小説も、ストーリーよりも「文章の気持ちよさ」を好んで読んでいました。(ストーリーのほとんどが最後は投げっぱなしが多くないですか?)

 

ハルキ文体の特徴

ネットの世界でも村上春樹はよくパロディとして使われます。

それだけ小説家としては異例の存在だし、画期的な文体は「発明」と言ってもいい。一方、ハルキ以前の小説家からは「文章の変態」と揶揄されるのも頷けます。彼らが守ってきたセオリーがいとも簡単に壊れるのですから。

特徴としては前出のリズム感がまずそうですし、固有名詞がやたら出てくる。

これ、星新一(なつかしい)の逆パターンなのです。星新一が匿名を徹底して(N国とかA氏とか)想像力にゆだねるスタイルを貫いたのに対して、ハルキは固有名詞で世界観を醸成しています。

特に音楽(洋楽レコード)のタイトルがやたら出てくる。これはハルキ以前の作家にとっては「反則」に思えたでしょうね。だって、レコードを知っている人には音楽が聞こえてくるワケだし、知らない人もタイトルだけでイメージが広がったりしますから。

選出も巧妙で、ビリージョエルやビートルズが多いかな。

「僕は、ブルース・スプリングスティーンのボーンインザUSAを聴きながら歯を磨いていたところだった」

この1文で主人公の趣味や性格、精神状態までイメージさせてしまいます。うん、確かにズルい。

 

ハルキ小説の主人公は

やたらお酒を飲みます。それもだいたいビール。村上春樹が呑兵衛かは知りませんが、まるで何かに復讐するかのように主人公にお酒を飲ませます。

「やれやれ。僕は4本目の缶ビールをあけた」

そう、渡辺昇(よく使う名前)は本当によくビールを飲むのです。

短編では目立たない本好きの青年か、ちょっと皮肉屋のクールな男が多いかな。

話し言葉がたまに「」でくくられずに、 明日になればなんとかなるさ。 という感じで表現されるのも特徴の一つ。

で、とにかく彼らの「言葉のやりとり」が単純におもしろいのです。

 

好きなのは「ノルウェイの森

タイトルからしビートルズの楽曲タイトル。

そして内容は暗いけど(病院や精神の治療施設の描写が多い)、すごく緻密に情景が浮かびます。そしてハルキ作品の中で最も純度が高いというか、余計な要素が入っていないと感じます。何度も読み直してボロボロになって、新たに購入しなおしたくらい好きですね。短編では「パン屋再襲撃」の中の「ファミリー・アフェア」。

「羊男のクリスマス」と思った人、残念でした。

 

最後に

村上春樹ファンというと「おしゃれですね」と言われることがありますが、ぜんぜんそんなことないです。下ネタは多いし、小説のセオリーから外れているし。まあ、あまり人には言いませんけどね。

ただ、文章好きの私にとっては定期的に読んで「退屈しない、いい時間」が得られる他にない小説だということです。影響も知らないうちに受けているのでしょうね、きっと。