スニーカー購入 ON
久々に購入スイッチがONになつてね。
ここのところスニーカーを買う儀をブログに上げるのが定例になっているから、ま、今回も。
その名も「ON」。
スイスのブランドで、創業者がトライアスロンのアスリートという。足を痛めてそれでも楽しくウォーキングできる靴が欲しいから開発したそうな。ゴムホースチクワみたいに切ってを靴底に貼り付けて、今までにないクッション性を実現したとか。
このあたりのエピソードはネットに山ほど落ちているからご覧あれ。
私が購入したのは「クラウドサーファー」。
まさに「雲に乗る」ような感覚で、確かに今までのスニーカーとは違う。概念が変わるというと大袈裟か?その秘密がこのソールにあるというワケ。
底の部分に穴が空いてて、これがドミノ倒しみたいに潰れる。手で押しても潰れるくらい柔らかい。あえてデメリットを書くなら、磨耗して長くは履けないだろうな(あくまで予想)。
ちなみにONのスニーカーのネーミングはすべて「クラウド〇〇」なんだよね。「クラウドモンスター」とか・・。この「クラウドサーファー」はガチなランニングモデルではない。フワフワでとにかく気持ちいい。お値段はちょっと、いやちょっとどころかかなり高い。スニーカーで約2万円って結構勇気いるよ。自分にたくさん言い訳して、さらにこれから「いいところ」を見つけたいね。とりあえず今見つけたのが、姿勢が良くなること。重心が後ろ(かかと)にあるので、自然と背筋が伸びる。猫背の私には嬉しい発見だ。
あと、スタイルが唯一無二の感じでニューバランスやNIKEに飽きた方にはいいんじゃない?
こういう「新素材シューズ」っていつのまにかスタンダードになってたんだね。ただ、他がハイテク感に溢れてるから、いろんな意味でバランスのいい外観なんだと思う。モード系のファッションなんかと相性良さそうかな、コムデギャルソンとか。あと、ほんとうにいい靴はどこもそれなりの値段はするね。
これで楽しく外出できるならそんなに高くないかも。
ただの友達
「ううん。彼はただの友達だから」
そうか。「ただの友達」ってすごい褒め言葉だな。言われてみたいよ。
運と縁と恩
人が生きていくうえで、大事なものってなんだろう?いや、そんなこと考えてなかった。
ただ何となく言葉遊びをしててね。
うん、えん、おん。
前にも書いたけど、言葉は使い減りのしないオモチャなんだ、私にとって。歩きながら、電車の中で、お風呂でも。時と場所を選ばないしお金もかからないしね。
韻を踏んだ「うん、えん、おん」に漢字を当てたらあら不思議。なんだか意味深なんだ。
こうなると「あん」「いん」にも当てたくなろうってものだが、こういうのは無理したらダメなのよ。意味が薄まるからね。
ほら「かまわぬ」とか「IBM」の絵文字も無理してないでしょ。
運
いや、けっこう運に支配されてるよな私たち。
もちろん努力が不可欠なのは言うまでもないが、それも幸運を呼び寄せるためにやってると言えなくもない。あと、どうしても抗えない才能や環境なんかの違い。でもだからと言って不公平だとも思わないし、「幸せは自分の心が決める」。みつおじやないが、人と比べるものじゃないんだ。乱暴な言い方をすれば「よかった」と思えればそれはよかったんだよ。それが運。いろいろあったけど、私は運がいいと思うことにしよう。
縁
そしてやっぱり一人では生きていけないからさ。縁も大事だよ。運が縁を運んでくることもあるし、逆もまたあり。いや、逆の方が多いのか。縁があること自体もう嬉しいことだし、それこそが人生のご褒美とも言える。あなたはどれだけ連絡がとれる人がいますか?
私は今現在、それほど多くの人はいないけど、多くの縁のお陰でここまで来られたと思っている。ホントに。
恩
だから、運をくれた縁に「ありがとう」って恩を感じる次第で。恩返しはできないかもしれないけど、気持ちだけは持っていたいな。
直接関係ない人やモノやサービスだって当たり前と思っちゃだめよ。自分。
というわけで、言葉の語呂合わせがなんだかいい話になってきたぞと。私の仕事も似たような側面があって。偶然を必然に変えるようなこと、あるなあ。いろんなものは元々必然的に結びついてなんかいないんだよ。なんてね。
どうでもいい話
今電車に乗って座ったら、前に立ってしゃべってた大学生と思しき女子3人組。
「わたしメロンは好きだけど、メロン味のお菓子は好きじゃないんだよね」
どーでもいいわ。
不思議な体験
そうあれは本当に、今思い出しても信じられないような体験だった(ちょっと稲川淳二風に)。
「キツネにつままれる」とか「夢を見てるような」とか、そんな表現がピッタリくる。
原因がわかってもその不思議さはまだ自分の中に澱のように残ってて、ついぼんやり考えてしまうのね。そんなお話です。
東京駅の地下街にアロマという喫茶店があってさ。カフェっていうよりザ.喫茶店という趣。そこはモーニングサービスが充実してて結構人気なんだ。モーニングについては愛知県出身の私としては一過言あるのだが、それは長くなるから次回に譲ろう。
レトロカフェブームも手伝ってか混み合う店内。「前はここまでじゃなかったな」と思いつつ、空きが出るまで3人ほど並んでる列に並んだの。
ここからだね、不思議な体験は。
なかなか空きが出ないので並んでいると、次に来た人が私の前に並んだのさ。スッてね。
アレ?なんで?と思っているとまた次に来た人(二人組)も私の前にスッ。
んーー?
あんまりスムーズに入ってくるので面食らって何も言えない状態。
何が起こっているんた?オイラ透明人間になっちゃった?
それからは並ぶ人は来なくなって、なんとか座ることができたんだけど、なんか腹は立つし、やり切れない気持ち。
で、よーく辺りを見渡すと‥。あっそうか!
原因がわかった。
その日の私のファッションは、白いワイシャツに黒のパンツ。店員のスタイルと酷似していたというワケ。前に入った人は、私のことを整理するための店員と勘違いしたんだな。
いやいや、こうしてブログのネタになったからま、いいんだけどさ。なかなか不思議な体験だと思わない?
お客様は神様です
「お客様は神様です」とおっしゃっていたのは三波春夫だ。さすがに私もリアルタイムで聞いたわけではなく、ヒットした演歌歌手の伝説としてね。
まだ小学生だった自分は、「なんてへりくだった考え方なんだ」と思ったものだ。確かにこれほどの謙譲語はないだろう。「あなたの仰せの通りにいたします。文句ひとつ言いません」ってことだから。
最近では、少し違う解釈もあるのかななんて思ったり。業界が狭くてアレなんだけど、わたしの生業であるデザイナーなんて職業もそういう側面がけっこうある。
クライアントが「好きなようにやってよ」と言ってても額面通り受け取っちゃいけないよ。最終的な決定権はいつもお客様が握っていて、抗うことはまあできない。そういう意味では、神様と言えるかもしれないけどその向こうにも消費者という神様がいるんだ。縁もゆかりもない人たち、デザインなんてどーでもいい人たち。子ども、おばーちゃん、オネエちゃん、オッさん。そんな人たちがいるからわたしの仕事は成り立っているんだなあ。ついでのように言えば私もそこに入ってる。
立場変われば主従入れ替わるのが世の中さ。