デザイナー羊男の毎日

日常の「気づき」のおはなし。ごゆっくりどうぞ。

サーカスは信頼でできている

何が人を感動させるのか?

これは私の永遠の課題かもしれません。一生かかってもわからないかもしれない。

わかったつもりでいると、いつのまにか遠くに行ってしまう逃げ水のようなもの。

このブログにしたって、言えないことはまだたくさんあります。まあ、それでもいくつかのことはやれたんじゃないかな?何事も「やる」というのは尊いことで、そこには神様のギフトがあるという経験則は間違っていません。

単なる達成感だけではない。そこには「ひととのつながり」があるのです。


サーカスの肝はなんだろうと考えたときに、「勇気」と答える人は多いでしょう。

空中ブランコ、大道芸、熊の曲芸、猛獣使い。確かにそこにあるのは勇気に見える。でも本当は「信頼」こそがその中核にあって、だからこそ人は感動するのじゃないか。


もっといえば、映画も漫才も歌も音楽もコントも雑誌もブログも料理も陶芸もアートも民藝も、すべてのコンテンツいや人の生業はすべて「信頼」によって成り立っているし、信頼のないものは感動できない。


それはもう太古の昔から変わっていないのです、たぶん。そしてこれからも。インターネットが普及しようが、コロナが蔓延しようが、この真理は変わらない。そう、変わらないことだってあるんだと。


私の生業であるデザインも信頼を大切にやっていく所存です。これは決意表明などではなく、さまざまな経験と感謝からくる「やらなければならないこと」。骨でもしゃぶるような気もちでこの文章を書いています。


憧れや名誉は要らない。華やかな夢も欲しくない。

淡々と、信頼のために生きていくだけです。

価値観の逆転

たとえば、ブランドものの財布って良いものだから値段が高いのですよね。とりあえずヴィトンやグッチでもイメージしてください。

造りがよかったり、材質がいいものつかってたり。そして心をグッとつかむデザイン、もっと言えば店舗のインテリアや店員さんのサービス、広告や販促イベント、ウェブサイトまで。

すべてが「これは良いモノです」というベクトルに向かっていることは、間違いありません。よく考えるとこれだけの労力とコストがかかっているのだから、もしかしたらそんなに高くないのかも‥とも思ってしまう。

 

で、ここからが本題なのだけれど。

いつのまにか、「良いモノだから高い」から「高いモノだから良い」になっているのですね。ある程度ブランドが認知されてくると、たくさんのひとが、あれはヴィトンのナニナニだからいくらくらいかわかるようになる。イコール、あれは良いモノなんだと。

価値観の逆転です。

この循環がさらにブランド価値を高める、マッチポンプ状態。ひいては「良いモノを持ってるから意識の高い人だ」という錯覚までおこさせる。そこまでいけばしめたもの。これがブランドの構造なんだなと、今ふと気付いたのです。

 

「名は体を表す」はブランド価値にぴったりの言葉なんですが、もともと体がなければ名は生まれない。その感覚は、私が取り組んでいる「デザイン」にも言えることでして。いい商品やコンテンツがあって、それを引き出すためのデザインがあるという構図なんです。ラーメン屋さんのロゴをどれだけかっこよくしても、ラーメンが美味しくなければ意味がないしブランドにはなりません。

 

よく「ここはデザインの力でなんとか!」とお言葉をいただくことがあります。

ありがたいんですけど、そういうものじゃないんですよデザインって。

品質、価格、デザイン、販促プロモーション。すべてがバランスよく、カスタマーの気持ちをつかむものじゃなくては。

雨後の筍のように増えて、また消えた高級食パンの店を見て何を思うか?

そろそろ閉店します。

本日は雨天なり。こんな天候にぴったりの話題、そうだな。

このブログも始めてちょうど1年を数えます。

よくもまあ毎日毎日、1年も続けたものです。

べつに書くことが嫌になったわけではありません。私の性格上どこかできりをつけようかなというのは思っていました。で、このタイミングなんです。

私、はてなブログPROの契約をしていたので(広告がなくてあれ?と思った方もみえたようです)その契約更新の時期がいいかなと。

ある程度ページビューが増えていたら更新しようかと少しは期待していましたが、これが驚くほど増えない。いまだに1日20満たない時もあるくらい。

まあ、役に立つ記事もないし、日記的なものは伸びないのは織り込み済みなので腐っているわけではないのです。たんたんと「あ、そうか」ってなものです。

 

少しはブログの世界をのぞくことができたし、自分の想いと向き合ういい機会だったなあとメリットも感じられました。

頭のいつもは使わない筋肉を使っている感じが快感でもありました。たぶんこれからもこの経験が生かせる場面はあるんじゃないかと。

 

数は少ないですが、今までこんな拙い文章を読んでいただいた方には感謝に耐えません。日記だったらこんなに続かないもの。コメントをいただいた方、ありがとうございました。私の支えになりましたし、小さなご縁が身近にあるのはあらためてよいことだと実感できました。

 

あと10日くらいです。カウントダウンですね。

 

ファッションは少しずつ機能重視に

通勤で東京駅を利用しています。いつものように京葉線ホームから東海道線に向かう途中、早朝でも人の流れに飲み込まれます。「あれ?」と思うのはファッションの変化ですね。

 

スーツが減っている

これは前に新宿の街の時にも書きましたが、早朝の東京駅は出張組もいるはず。もう出張さえもカジュアルダウンなのかな。さらに見れば、少ないスーツの人も足下はスニーカーだったりします。そう、カジュアル化は靴→パンツ→シャツ→ジャケットの順で「下から」進んでいくのですね。まさにその変化の過程を私は見ているのかもしれません。

 

アパレル不遇の時代?

「紳士服」という古めかしいジャンルがあります。ちょっとオジさんっぽいけれど、10代の頃はスーツにネクタイって「憧れ」でもあったなあって。仕事柄あまり着ることはないけど、プレゼンや大事な会議ではよく着ていました。

昨日の常識は、今日はなかったことに。そんな現実を目の当たりにすると何を信じていいのやら。でも、ある意味ダイナミックでおもしろい時代かもしれませんね。

アパレル不遇とも言われるけど、チャンスだつてあるんじゃないかな。

 

機能と環境性能

もともとファッションって機能性のモノだったと思うのです。ネクタイにもスーツの襟にも、ボタンにも意味がある。ここで詳しくは書きませんが。

その機能性が今は環境性能にふれてるような気がするのです。暑さ対策や素材のサスティナビリティ。デザインはそれに合わせる形で変化している途中ではないかと推察しているんです。朝の通勤でね、

祝 コンペ受注

私事というか、自分の会社のことなのですが、久々にうれしかったので書きます。

デザインには競合コンペというものがあります。

なかなか傲慢なシステムなのですが、お客様が数社の業者を指名してデザインを作らせるワケですね。「よかったら作っていいよ」と。

前にも書いたけどコンペには私、懐疑的なんです。絶対いい関係は築けないし、デザインは単発で「勝つもの」となります。本当にクライアントのことを思って制作するモチベーションではないですねこれは。

 

ヒドイ時には参加費用も出ないし、落ちたら「はいさようなら」です。ちょっとバカにしていないか?とは思いますが、案件受注したい営業のために嫌な顔ひとつせずに(いやするか)がんばります。

最もいやなのはデザインコンペの後に値段の入札っていうの。

「いや、デザインは最高だったんだけどねえ。値段で落ちました」

せめて先にいくつか入札してからコンペにしてください。訴えてやろうかな。

 

そんなコンペ疑問派の私でも、やっぱりコンペ受注するとうれしいものです。どっちやねんって話ですね。でも今回は毎年恒例のコンペで、今まで同一業者が続けて受注したことがないという曰く付き。政治的なニオイがプンプンします。

これを連続受注できたのは、正当ににデザインの良さを評価してもらったのかなとちょっと鼻の高い気分です。

 

しばらくは(この関連作業をしている間は)うまいビールが飲めそうです。

いや、禁酒中だからノンアルでね。

許せるようになる50代

私も昔に比べれば多少は丸くなったと思います。

逆に頑固になる人も多いとか。それもわかるなあ。

経験をたくさん積んでくると、背負ってきたものの重みを周りに言いたくなるのでしょうね。その点、私はそれほど重厚な人生を送ってきていないので身軽なのかもしれません。「許せる」ようになったこともいくつかありますよ。

その中でも、取るに足らない例をあげようかな。個人的にそういう軽いものが好きだから。

 

まずは何もつけずに

外食に言った時に、メニューとかに書いてある「まずは何もつけずに召し上がってください」の一文。「うるさいよなあ。好きなように食わせてくれよ」と思っていたけれど、今は許せる。いや、その通りにしますよ。ああ素材の味が美味しいですねえ。

で、次はどうすればいいんですか?ってなもんです。

 

血液型の話

飲み会の席での血液型のお話。科学的根拠云々というような野暮は最初から申しません。でもなんか工夫がないし、「だから?」という感じになってしまうのは否めない。でも今は許せる。一所懸命場を盛り上げようとしているんだね。偉いよ。まあ興味のない人もそれなりには盛り上がれますもんね。

 

住んでるところ自慢

そうですか。世田谷にお住まいなんですね。聞いてなかったけどそちらからお話されるとは。ほかにも東横線沿線とか、話題のニュータウンとか、タワーマンションとかいろんな切り口があるもんです。前は鼻についたけど、今は許します。愛着があるんですよね、住んでいるところに。私も買ったからなんとなくわかります。あまり自慢するポイントはありませんが。

 

悩ましい 

本来は性的にグッとくるような意味のこの日本語。今では「悩むなあ」という意味合いで使われることのほうが多くなりました。変わりゆく日本語を嘆いていてもしかたない。言葉は生きているんだな。

 

と、まあ些細なことを許しながら、自分もきっと許されているんですよ。

世の中、持ちつ持たれつ。

禁酒2カ月で思うこと

正確に言うと2か月ちょっとですね。

まさか私がお酒を断つとはと、自分で驚いているくらいなんです。

きっかけは、成人病検診(4月末)の結果をよくするための追い込み。夏休みの宿題よろしく、最後のがんばりを見せた感じです。

それが1か月間だったのですが結果は「C判定」。「再検査を要する」というやつです。でも毎年駆け込み1週間だったのを1か月に変えたことで、数値はかなり良くなっていました。

「うん、せっかくだからもう少し続けてみよう」

そう、お得意のせっかくパワーですね。あと、お酒が体に与える悪影響をよく目にするようになったのも…。これもお酒と体についての興味が出てきたからだと思います。

 

ここまで読んで、

「ほう、ポジティブなじゃい。やればできるもんだね」

と簡単に思われるかもしれない。

でもコトはそんなに簡単じゃなくて。

 

前にも書いたけれど私、そんなに趣味がない人間なんです。仕事も割と根を詰めるものだし、休日も家族サービスというか、まあ控えめに生きている。

タバコもやめたし、ギャンブルはとうの昔にやめています。

だからお酒は唯一の楽しみだったのですよ。それもコロナで外呑みはしていないし、晩酌も1合程度。

それを、、、、やめる。重いなあ。

でも重く考えると嫌になっちゃうので、「いつでも飲めるよ」というくらいの気持ちで1日1日重ねていくという。それで2か月です。

 

つらかったこと

最初はつらかったですね。何か忘れ物している感じ。

夕食もすぐに終わってしまうので、時間的な物足りなさがあります(今までいかにダラダラ飲んでいたのか)。

そして、楽しみが減ったぶんそこに何かを補填しようと「甘いものが欲しくなる現象」が始まります。これも血糖値が上がりそうで心配にはなります。

そして、最初の1週間くらいは寝つきが悪くて困った記憶がありました。

 

よかったこと

寝つきはだんだんよくなりました。

睡眠の質が上がったのか?疲れが前よりもとれるようになった気がします。

ちょうど2カ月目くらいには、夕食時にお酒のことを忘れているまでになりました。なんとか「お酒を飲むのがあたりまえ」という意識をはぎ取った。

私はもともと習慣性の低い体質なので、たまに飲む機会があっても晩酌に返り咲くことはないと思います。

 

夏はビールの季節。うまいんだな、これが。

それも乗り越えて、もう少しだけ続けていきます。