ここ7回連続でナッジ理論シリーズを続けてきましたが、通常運転に戻します。
しかし、アレですね。元ネタがあるというのはある意味ラクです。
とりあえず書き始めに頭を悩ますことがありません。いつもここに15分くらいかかったりしますから。
まあそのぶん、内容に関してはきちんと自分の考えに落とし込まないといけない大変さはあります。あと、きちんと主旨が伝わっているかに腐心するのでむしろたくさん気を遣いました。疲れた…。
とはいえゼロから何かを生み出すことは不可能なので、結局は何か(対象物)から影響を受けた物事について書くことに変わりはありません。前置きがながくなりました(私の悪い癖)。
労働報酬と成果報酬
たとえばデザイン料金を設定するときに、「アワーレート」という考え方があります。
「このデザインを作るのに5時間かかるから、私の時給が5,000円として25,000円となります」ということですね。一見とても真っ当な考え方ですが、本当にこれでいいのでしょうか?問題点というか違和感を感じる点がいくつかあります。
・案件規模によってクライアントが享受する利益が変わる。1億円の利益が上がる仕事に25,000円の報酬ではバランスが悪いのでは?
・長い時間をかけて制作するほど報酬が高くなることへの違和感。
・そもそもデザインは単純労働ではないので、「考え」や「才能」に対するペイにすべきではないのか?
といったところでしょうか。この手の話は、労働報酬と成果報酬の比較になりがちですが、すべてに成果がついてくることもないわけで、単純に割り切れないからややこしいですね。
報酬は「苦労」に支払われるのか?
麻雀放浪記という映画をご存知ですか?麻雀好きでなくても映画として面白いのでおすすめです。その中で印象的なセリフがあります。
「真面目にコツコツ稼いだ金よりも、賭博で勝ち取った金のほうが数倍価値がある」
すごく誤解をまねくし、とても道徳的とは思えない「ワルイ」考え方ですよね。
ただ、映画を観ればわかりますが、ここでいう賭博というのは「命を削って最大限努力して打ち込むもの」の象徴なのです。4人の博徒が出てきますが、「誰も運で打ってなんかいない」という。まあ詳細は書きませんが。
では、麻雀が「苦しいか?」というとそんなことはない。誰もが大好きなのです。
「好きだから命を懸けて打ち込む。それによって稼ぎがある」
これはとても健全な考え方だと思います。
「苦労しているから、その分の報酬を受け取る」とは真逆の考え方。
楽しく仕事して稼ぎたい
「苦労」に対する報酬だと、「私はこんなに苦労しています」というアピールをすることになります。それって余計なことじゃないですか?
もっとポジティブにやる方法はないのかなあ。
「おっ。これいいねえ」「おかげで効果が上がったよ」とクライアントが喜んで、デザイナーも「そうでしょう?もっとやらせてください」と言えるような。
「楽しさ」に価値が認められるような仕組みが必要で、それが問題解決の突破口になるような気がしているのですが…。