デザイナー羊男の毎日

日常の「気づき」のおはなし。ごゆっくりどうぞ。

アートが生きる道 NFTアートが示す未来

デザイナーという職業は、ある意味アートとは真逆であると思います

確かにアートがなんだか苦手な時期がかなり長くありました。自己表現という名のもとに存在する、曖昧な完成度や屈折した手法を「アートですから」と開き直っているイメージが自分の中にありました。どちらかと言えば「職人」のほうが好きで。

見る人や使う人の気持ちに寄り添って、「誰かに喜んでもらう」という視点のないものは今でも興味がわきません。

それでも、概念というのは少しずつ変わっていくもの。アートもその意味や考え方が変わってきたのかもしれません。私もデザインをつくるときに、「アート的なもの」を内包させてみたいと思うようになりました。もしかしたら自分が変わったのかもしれないな。

 

日比野勝彦氏のこと

80年代というともう大昔のことみたいですが、あるアーティストの展覧会を見に行った記憶があります。80年代といえばクリエイティブやアートがキラキラしていた時代。広告やメディアコンテンツにも作家性が重要視されて、ヒットすればスターになれた時代でもあります。その中でも時代の寵児と呼ばれたのが日比野勝彦氏でした。

50代以上の方ならご存知でしょうし、そうでない方も一度は見たことがあると思います。段ボールを使ったアート作品がそのまま彼の特徴であったと言ってもいいでしょう。その「新しさ」は文字通り今までにないもので、是か非かという論争以前に「これが今、かっこいいんだ」という風潮は有無を言わさぬものでした。

私も当然気になっていましたが、地方の一市民が作品を拝めるのは印刷物やテレビの中で、「なるほどねえ。これがいいんだな」と。いや、気になるくらいですから「すごくいい」し、「好き」でもありました。ただ素直にいいと言えない年頃だったのです。

 

アートの耐性

展覧会の作品は素晴らしかったですよ。ほとんどが立体作品なので、生で見るとまるで違います。でもね。

もっと驚いたのが「自由にさわってください」と書かれていたこと。アートってなんだか「触れてはいけないもの」というイメージがあったので。いまでこそ「写真OK」のギャラリーも増えましたが、当時はかなり画期的だったんじゃないかな。

さわっていい。というのはその作品に耐性があるから。そこに耐性があれば子供や外国人も彼の世界に没入できます。それだけで世界が広がるのです。

「もし壊れたとしても、また直せばいい。段ボールですからね」というご本人の弁もすごく懐が深くて感動した覚えがあります。

これによって、少しアートに対する考えが変わったような気がします。

 

NFTアート

この考え方を突き詰めると、NFTアートになるのかもしれません。

私も詳しくはありませんので、ご興味のある方は検索すればかなり出てくるかと。

要するにアートをデジタル化する手法ですね。メリットとしては

・早く大量に作れる

・持ち運びがしやすい

・加工が容易である

これらは職人の技術とはまさに逆の発想で、コンセプト重視だから成立する価値観だと思います。ただしこれだと複製による価値の下落という問題ががあります。そこで現在おこなわれているのが、限定でのプリントアウトとなるワケです。

「ここまできて結局アナログかよ」って感じですね。もしかしたら特殊なセキュリティをかけてデータ化する方法もあるかもしれませんが、どちらにしろ「アートの世界を広げる」というのは「価値を維持する」こととのトレードオフなのかもしれません。

 

プリミティブな感動が大事

初心に立ち返ると「これってすごいね。かっこいいね。」という感動がもともとのアートの姿だったんじゃないかと。あまりにも価値とか運用とか考えすぎると、何を作っているのかわからなくなるような気がします。少なくとも私が必要としているのはプリミティブな感動なんですね。