以前、「こんなブログがあったら読んでみたい」という記事を書きました。
読んでいただいた方、ありがとうございます。
しばらく、しつこくそれを考え続けていたんです。成果はまた今度ね。
「何かを考えること」は大人の私にとって「使い減りのしないおもちゃ」みたいなものです。子供の頃は本当におもちゃが好きでした。いつからだろう、おもちゃを欲しがらなくなったのは。ふと思ったんですよね。
一口に「おもちゃ」と言っても、範囲が広いですね。
おしゃぶりをクワエていた頃なら、ガラガラだったり積み木だったりするのでしょうし、そのうちに興味のあるものが出てきます。怪獣の人形やクルマや電車の模型に。女の子なら着せ替え人形とかシルバニアファミリー。ままごとセットもあったな。男女共通ならお砂場セットとかシャボン玉とか。
純粋に「おもちゃ」と言えるのはもしかしたらここまでかもしれません。
その後、野球やテニスの道具になったり、アイスクリームや編み物を作るオモチャだったり。ちょっと違う力学がからんでくるんです。
そうだ、ゲームというものが出てくるんだ。カードやボードゲームから始まってテレビゲームへ。あと、カラオケのマイクもあったなあ。
いつの間にか、サンプルが私から娘に移ってしまいました。でも、そのほうが記憶が新しいぶん正確ですね。
お小遣いをもらっているうちはおもちゃが必要
結局のところ、本当におもちゃを必要としていたのは「自分で働き始めるまで」だったような気がします。大学生になってもぬいぐるみやおもちゃっぽい小物なんかで部屋は溢れていました。これは私の娘の話なので、サンプル=1です。
自分が稼いだお金で洋服やブランドものの財布を買う時分になると「自分や友達」の世界から、社会との関わりのほうに興味がいくのですね。そういえば本や映画に費やす時間が長くなったような気もします。
「おもちゃ」はかたちを変えて
ありきたりな言い方になってしまいますが、「おもちゃが要らなくなったワケではなく、その形が変わっただけ」なのかもしれません。このブログだってある意味「おもちゃ」と言えなくもないし。私の場合、仕事のなかに「おもちゃ成分」がかなり含まれたりしています。
最近はスマホで、ゲームや写真やおしゃべりもできますのでこれが最高のおもちゃなのかも。
でもそれだけじゃやっぱりサミシイ気がするんですよね。手の中に入る「おもちゃ」はいくつになっても欲しいんです。
で、ついつい買ってしまうフィギュア。娘の冷ややかな視線が痛いですが。