デザイナー羊男の毎日

日常の「気づき」のおはなし。ごゆっくりどうぞ。

望んだ未来

この記事は、「同じようなことを書いたなあ」という記憶があったので、探してみたらやっぱりありました。でも表現のしかたが違うとけっこうニュアンスって変わるものですね。中島らもさんが自虐的に「同じネタ、違う出版社で使いまわす事件」を面白おかしく書いていましたが、まあそれも一つの芸にしてしまうたくましさが欲しいところです。さて。

 

昨日のことです。

私は電車の中でスマホを見ていました。

ふと顔を上げると他の乗客全員が自分のスマホを見ています。私はあわててスマホをカバンにしまいました。「俺は違うぞ」ということなのか?自分の行動に訝しくなった昼下がりの出来事です。なんだろうこのバランス感覚。

誰も私の行動なんか見ていないし、興味もない。なのに…。

 

しばらく、自分の思考がわからなくて考えていたのです。

これも前に書いたことなのだけれど、「考える行為」は私にとって「使い減りのしないオモチャ」なのです。特に電車の中なんかずっと考えてる。

 

で、しばらく考えていたらある感情が浮かんできたのですね。

 

「私はこんな未来を望んでいない」

 

そう。たぶん私はそう思ったのです。

電車に乗ったお客さんがみんなそれぞれ自分の世界に入っている。そこには暖かいふれあいはなく、隣で誰がなにをしようが知ったことじゃない。

自分の気に入った人とだけ、小さな画面を通してコミュニケーションらしきものを交わしている。小さなコミュニティで「イイネ」を待っている。

便利になったのはいいことだけど、こんな状況になることを過去(数年前)の自分は望んでいたのだろうか。ぱっと見でさえ、かなり異常な光景に見えたから。

 

いや、べつにケータイ見ているみんなが悪いとか言っているワケじゃないんです。

世間という総体として「本当にこれでいいの?」という素朴で根源的な疑問。

 

この記事に答えはありません。時は戻せないし、戻せたとしてもなにをすべきかもわかりません。ただ「昔はよかったなあ」と老人のようなひとり言をつぶやくだけなんです。