デザイナー羊男の毎日

日常の「気づき」のおはなし。ごゆっくりどうぞ。

売り上げ自慢は有効か? 評価についての考え

電車の中吊りやドア近くの広告で目に付くのは交通広告です。

駅のポスターやらデジタルサイネージも含めて「交通広告」といいますが、その花形は電車内の中吊りでしょうね。

季節によって出稿する業種は変わってきます。春先ならエステだし、夏ごろからはビール、秋は旅関係なんか多いかな。年間通して安定掲載されている組もあります。学習塾とかビジネス書籍なんかそうです。

でビジネス書籍なんですけど…

売上自慢が非常に多い

「累計55万部達成!」

「今年度売上1位 」

「〇〇大学 〇〇教授推薦!」

この「どれだけ売れているか?」の手法はアサヒビールの得意とするところですね。売れているということは、品質もそれだけいいんだという文脈でしょうか。

なんだか企業の自慢話を聞かされているような気がするのは私だけかな。プロゴルファーの賞金総額みたい。

あと、ビジネス書だと「多くの人が読んでいる」ことはビジネス的に有効なのかもしれません。書いてあることが民意に近ければ、営業トークに使いやすいですからね。

私はあまのじゃくなのか、あまりこういう煽り文句は見ません。むしろ少数の人が読んで面白いもののほうに魅力を感じます。

 

評価を気にする人たち

YouTubeなんか見ていると「この動画はもっと評価されるべきだ」というコメントが散見されます。この評価ってなんなんでしょう?「いいね」の数?それとも再生回数でしょうか。既存のアーティストの動画を載せて「評価」といのも違和感ですし、YouTubeのサーバにアップすることに「評価」という言葉を使うのもなんか違う気がします。何より、そんなに他人の評価を気にするのはなんなのでしょう?

 

音楽でも「これはもっと売れてもいい」とか、「シングルにして売るべきだ」と言う方もみえます。

そうか。評価というのは経済効果で測るものなのか。

 

そこだけじゃないでしょ

言いたいことはわかりますが、それだけじゃちょっと寂しいんじゃないかな?

単純に「好き」ということが評価の原点だと私は思っています。売上もチャートも有名人の推薦もそれの結果であると。

もちろん私も評価は欲しいのですが、それ以前に「人の心を動かせるか?」という部分に執着してしまう。それだけ大事な部分だと考えているのです。