物事をすべて「情報」ととらえると、大事な何かを見逃してしまいそうになります。
私がデザイン制作でもっともよく使うソフトはアドビ・イラストレーターなのですが、大きな特徴として「どれだけ拡大してもデータの精度が落ちない」ということがいえる。極端な話、カードサイズでも畳一畳分でも遜色なく出力できます。
ややもすると、カードと看板を=(イコール)で結んでしまいそうになりますが、それは机上の空論ならぬ、PC上の空論に過ぎません。データはあくまでもデータであって、出力すればそこには現実の「モノ」が現れることになるからです。
ちょっと喩えがわかりにくいですね。
例えば映画はどうでしょう?
これだけネットフリックスや動画配信のサービスが出回り、定着しても映画には行くでしょう?私の娘(20代)も月に1回とか行ってるみたいです。
映画に関しては、スクリーンの大きさもさることながら、ポップコーンのにおいや空間そのものが特別なイベント感にあふれているのですが、それでもあの大画面はスマホや家のテレビでは再現できません。
まあ、感動を測る機械がないので実際にどのくらいの効果があるかわかりませんが。
私の身近なところでは書籍。
これは大きな発見だと思うのです。文庫サイスで読んでいたものを四六判で読むと全然印象が違うという。よく「行間を読む」といいますが、行間が物理的に広い分、たくさんの情緒が入っているような気がするのです。
絵画や写真なんか最たる例ですね。
美術館やギャラリーで見るとやはり感動しますもの。そういえばレコードジャケットも「買ったぜ」という満足感があったなあ。
単純に大きければいいというものじゃなくて、モノにはその大きささなりの良さがあります。そこに合わせてデザインできたらなあと最近とくに思うのです。