どこで読んだかは忘れましたが、「考えるとはどういうことか?」という内容の記事が印象に残っています。
よかったら下の課題を考えてみてください。
あるレストランが経営不振でピンチです。どうすればいいですか?
・現場スタッフの一人は、「元気よく応対し、笑顔でお客様に接します」と言った。
・店長は、「メニューの内容を考え直し、お客様の嗜好に合わせたサービスを考えます」と言う。
・オーナーは、「この店舗を閉鎖し、違った業態の店を検討する」と。
実はどれも間違っていないのですね。それぞれが自分の職分の中でベストな答えを考えています。
ここでは「考える」とは「解」を求めることで、それが「思う」との違いであると。そして、「自分の中で言い訳の余地を残さない」ことと定義づけていました。
うん、確かに「レストランつぶれそうでイヤだなあ。なんとかならないかなあ」と思っているのとは全然違う。「解」を求めることで話はリアルになる。さらに、いつまでも考えていていいわけではなく「自分の納得のいく解」をひとつの区切りとする考え方は「なるほど」と膝を打ちました。
先輩の教え
私が会社に入ったとき、ある先輩に教わったこととして、
「自分より2つ上の立場で考えること」
というのがあります。
例えば、平社員なら係長として、主任なら課長としての視点を持ちなさいということですね。その論調でいうと課長は社長の視点で考えることになります。
これも「言い得て妙」な話です。まずは自分の職分で精いっぱい答えを探すのが基本ではありますが、それだけだとつい保身に回ったり言い訳したりしそうですから。
視野を広げることは「考える」ことの幅を広げることにつながるのでしょう。
理論武装できている時だけ偉そうに振る舞うことのカッコ悪さ
私が社会人になって得たことはたくさんありますが、その中でも筆頭にあげたいのが
「結果を出したやつが一番えらい」という真理かな。
どんな小さな結果でもいい。理論だけを風呂敷のように広げるよりも、小さな結果をひとつでも実現させたやつはかっこいいと思います。
前出のレストランの例でも、結果が出せればどの案でもいいのです。一番よくないのは、理論武装で終わってしまうこと。そういう意味では「実行」を伴わない「考え」は単なる「思い」でしかありません。
ときどき、理論武装できているときだけ偉そうに振る舞う輩が会社でもテレビに中にも存在しますが、すごくかっこ悪いなあと。本人は気づいているのだろうか。