デザイナー羊男の毎日

日常の「気づき」のおはなし。ごゆっくりどうぞ。

怒りは感情ではない?

「怒りはいわゆる感情ではない」

以前、どこで読んだか完全に忘れてしまいました。

本や雑誌かもしれないし、もしかしたら夢をみていた?という可能性も否定できません。

今、グーグルで調べたらありました。怒りは「二次感情」というらしいです。

 

「怒り」というのは、『悲しみ』『虚しさ』『苦しみ』『心配』『さみしさ』の感情の発露であるということです。うん、思い出した。

 

人はさみしいから怒る

小説や映画なんかで、主人公のヒーローや大悪党が「もう怒ったぞ。目にもの見せてくれる」なんて言ったり、戦争で「この怒り、晴らしてやる」と言っているのは、一時感情の『さみしさ』が怒りへと導いているのです。

わかりやすく言うと「どうして私の気持ちをわかってくれないの?もう、さみしいじゃない!」ということなんですね。共感が得られないさみしさが怒りに代わっているのです。

ほかにも、「心配だから怒る」もけっこうあると思います。

そう考えると急に人間味を感じたりしませんか。

 

怒りを鎮めるには自分を主語にする

だいたい怒ったあとには、後悔の念を抱くことが多いです。「あんなことで怒るんじゃなかった」ってね。

怒りをしずめるには、6秒待つなんてよく言われます。怒りの発生から理性の発動まで6秒かかるというのが理由だそうですが、それが我慢できれば苦労はないです。

下手すると「なぜあの時怒らなかったんだろう」って後悔することもありますね。

うーん難しい。

 

あと「怒り」って相手に矛先が向かいがちなんですが、一度自分を主語に考えるといいみたいです。

「あなたは、いつも私の話を聞いてくれない」ではなく、

「私は、あなたに伝えたいことがあるから話を聞いてね」

にすることです。より肯定的な印象になりますしね。

 

感情に翻弄されるのも人

映画「インサイドヘッド」はご覧になりました?

あれを観て「なんだ、外人さんも意外と私たちと一緒なんだ」と思った人は多いんじゃないかな。ディズニー映画では、よくそんな気持ちになります。

インサイドヘッド」は外に広がっていくのではなく、内に入っていく感覚がすごく新鮮で面白い映画でした。

その中で、カナシミが他の感情の足を引っ張っているように物語が展開しますが、最終的には非常に重要な役割を担っていると気づきます。

ネガティブとポジティブは相反しつつ、バランスを取り合っている感情なのかもしれません。ひとつの感情を抑え込みすぎて、バランスに変調をきたさないようにしたいですね。