デザイナー羊男の毎日

日常の「気づき」のおはなし。ごゆっくりどうぞ。

母の愛情を感じたエピソード

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昨日バスに乗って車窓から景色を眺めていたら、すっかり忘れていた昔の記憶が不意に蘇りました。

たぶん保育園に上がる前の記憶だと思います。今までバスに乗っても思い出さなかったのに、なぜ今?

たまたま雨が降っていたとか、温度や湿度の関係とか、いろんな経験を積んできて「今」その記憶にリーチできたとか、よくはわかりません。

それは、幼少期の私にとってはあまりいい思い出ではありませんでした。どちらかというとトラウマに近いものかもしれません。しかし、今蘇った記憶はどこか「温かいもの」に感じます。

なにぶん小さかったので正確ではありませんが、ここに書き起こしてみます。

 

バスに乗っていた母と私

私は母とバスに乗っていました。どこに向かっていたのか?どこかからの帰りだったのか?覚えていません。母は車窓から外を眺めていました。幼い私は退屈を持て余しており、ふと近くにある「とまります」というボタンが目に入ります。

そのとき以前姉とバスに乗っていて、姉が降りる場所でないところでボタンを押したことを思い出しました。たぶん姉は、すでに誰かが押した後に押していたのです。なんの問題もありません。

私はきっと大丈夫だろうと、「とまります」ボタンを押してしまいました。

運悪く誰も押していなかったバスは当然のように次の停留所で停まります。誰も降りないので運転手さんが「誰が押したんですか?」と怒った口調で乗客に問いかけました。誰も何も言いません。私も自分がやったことだと、まだ気付いていないのです。

そのうち、乗客の一人が、「この子が押したんだよ。私見ていた」と運転手や他の人たちに言いました。私はただ茫然とその様子を見ていて、母はすごく驚いていたと思います。その後、母は、ただひたすら謝っていました。

 

母の愛情

私たち親子は自分たちの目的地で降りました。「怒られるな」と思っていた私でしたが、母の口から出た言葉は意外なものでした。

「なんだ、あのオバサン。告げ口なんかして。ホント腹立つよね」

怒られると思っていた私はちょっと拍子抜けした感じです。決して子どもに甘い親ではなかったし、なぜこんなことを言ったのか今も不思議なのです。

だって、悪いのは完全に私です。迷惑をかけたことに対して叱るべきだし、母の言葉は決して褒められたものではありません。

今、親となった私でさえそう思います。叱っていたかな、私なら。

でも、私はその時すごく愛情を感じることができたのです。それはたぶん、幼い私を懸命にかばってくれたと思えたからでしょう。

愛情は、時に理不尽です。正しくないものにも注がれる。もしかしたら、その時の経験はそこから何十年と生きる私の滋養になったのかもしれません。

 

今さらだけど、母にありがとう

あれから50年近く経ちました。まだ母は元気ですが、転勤で離れていて思うように会うことができません。そんな状況がこの記憶を呼び起こしたような気もしますね。

いい機会なので、電話でもしてみたいと思います。コロナが収まったら恩返しと親孝行の意味を込めて近くの温泉でも連れて行ってあげたいと思います。