コロナワクチンの接種に出かける間際に名古屋の河村市長「金メダルかぶりつき事件」をテレビで見まして、筆(キーボード)をとりました。
「メダルをかじる」という行為を初めて見たのは、田村亮子(現谷亮子)選手だったと思います。ヤワラちゃんはかっこいいし応援していたのですが、あの行為だけはどうしても好きになれませんでした。自分がとったメダルだから好きにしていいのでしょう。それでも強力な違和感は今でもあります。
金メダルをかじることの違和感
必死で獲得した、アスリート羨望の金メダルです。努力と忍耐と強運を味方にした選ばれしものしか首にかけることはできません。
たぶん(私の想像ですが)ヤワラちゃんは駄菓子屋のコインチョコレートをイメージして、ガブリとやったんじゃないでしょうか。その行為はもしかしたら「カワイイ」の範疇かもしれない。ただし、金メダルとコインチョコのバランスがあまりにも悪すぎると思ってしまうのです。センスとして。本当、大きなお世話なんですが。
羨望の的を「カワイイ」の演出の道具にしてしまうことに違和感があるのでしょうね、きっと。
河村市長と高田純次
今回、世間からたたかれメダルも新しく交換することになった河村市長(費用はIOCが出すそうです。なんで?)。自分のとったメダルでさえ違和感があるのに、まあ言語道断ですわな。ちょっと森喜朗氏と同じニオイを感じますが、森さんのほうがまだちゃめっけがあります(養護しているわけじゃありません)。やっぱり、「メダルかじる行為」の罪は大きいですよ。まず「愛されキャラ」を狙ったところがダメ。そして致命的なのが見ていて「痛い」ということなのです。
これ、本当に面白いと思ってやってるのか?だとしたら世間とのズレは甚だしい。
タレントの高田純次がデビ夫人の何百万円という指輪を見せてもらって、いきなり口にくわえるというのはなぜか許せるんすよね。(ホントはやっちゃいけない!)
その違いは「笑えるか?」という非常にシンプルなものです。私のお笑いに対してちょっとひいき目なところは認めます。でも「笑える」っていくつもの問題をクリアしていないと成立しないと思うのです。デビ夫人の件だって、お金持ちの権威に対する皮肉が含まれているから着地でぎています。高田純次、実は常識人でよく考えてるのかも。買いかぶりかな。
いろいろケチがついたオリンピック
小林賢太郎の発言も問題になりました。
小山田圭吾、佐野研二郎、佐々木宏と私が影響を受けた人たちが日の目を見ない結果になったのは残念な気がします。終わってしまったことに、「もし」も「たら」もありませんが、彼らが辞退せずに開催していたら、どんなオリンピックになったのか見てみたいですね。単純なデザイナーの興味ですが。
これからパラリンピックが始まりますが、テレビもネットもそして政府もまったく盛り上げようという気持ちが見えません。これにはいくつかの理由が考えられますが、また今度書こうと思います。