今週のお題「自由研究」
「やすみをあたえておいてしゅくだいをだすなんて、なんせんすではないのか」
小学生の私は、ひらがなで上記のようなことを考えていました。
もちろん大人たちにそんな進言を理論的にできるはずもなく、どうやったら早く宿題を終わらせて遊べるかに悩みつつ結局8月中旬まで放置するという毎日を送っていました。だいたい宿題を終わらせる順番は決まっていて、教科ごとの宿題→自由研究→読書感想文という感じです。
読書感想文についても「人の書いたものの感想を、自分の作品にするなんてクリエイティブのかけらもない宿題だ」とやはりひらがなで考えていたのですが、読みにくいので漢字とカタカナ入りで書きました。ここは、今回は割愛。
私が子どもの頃の自由研究の話
「自由研究」というからには「自由」でなくてはなりません。しかし、実際には(概して大人のご都合的な理由により)自由とは名ばかりのものでありました。
旧友は「ウンコのどの部分が一番くさいのか?」をブツを等分に分け調べましたが、その研究は却下されました。理由は教えてもらっていないそうです。
私はある夏「税金」についてインターネットもない状況の中、必死に調べてかなり本格的な研究資料を書き上げました。手書きの表紙タイトル、「税金」は墨痕鮮やかな明朝体で、子供心に「なんて美しいんだ」とため息を漏らしたものです。なぜ「税金」だったのか?今では思い出せませんが、その時一番興味のあるトピックだったんじゃないかな。図書館での資料集めも含め、40日ある休みの1/4くらいは費やしたと思います。初めて宿題が楽しかった。
しかし先生としては、成績をつけるのに欲しかったのは理科系の研究だったようで、「こういうのじゃないんだよね」と本音まじりに私に仰いました。
さすがに却下はされませんでしたが、あの時の先生の困った顔は忘れられません。
自分の子どもの自由研究の話
時代は巡って、自分の子ども(娘)の自由研究を一緒にやるようになりました。
甘い親だと思われるかもしれませんが、ハイその通りです。
私の子どもの頃よりもそれは「自由」になっており(さすが多様化の時代)、
・転んでも起き上がる貯金箱の制作
・ペットボトルに何を巻き付けたら、中の氷が解けないかの観察
・東京たてもの園を視察し、昔と今の暮らしを比較した研究
など、ほとんど私がメインで取り組んでしまいました。だめだ、この親ばか。
自由研究は楽しいぞ
子供心に宿題はやっぱりイヤなものですが、子どもの頃も50代になった今でも知的好奇心はあるものですね。「自由研究」だって、ときに「遊ぶ」のと同じくらいのドキドキ感があります。
宿題も勉強も、なにかもうちょっと「いいやりかた」があるといいと思いますよね。