何かを吐露することは、それだけでたぶんストレスの発散になるのではないかなと思います。日記の効用もそういうものが多くを占めているような気がするしね。
「人に読まれない」のが日記の特徴ではあるけれど、本当にそういうものが存在するのかちょっと疑問ではあります。どこかで「誰かに読んでほしい」と思っていないと文章って書けないのじゃないでしょうか。
毎日更新しているこのブログも、やっぱり不特定の誰かに向けて書いています。いつもはネタどうしようかとか汲々としているのですが今日は何もない、ただ自分の感じていることを書いてみようかなと。これは不特定の誰かだからこその所業ではありますね。
承認欲求の強い人
ここ数年なのかな。人がすごく「認められたがっている」状態にあります。
SNSの「イイネ」の数云々というのは、もう手垢にまみれている感はありますが、とにかくいろんなところで「私を認めてください」と非常に五月蠅い。
「私はこんなにがんばっているのに」
そうだね。でもそれ、人に言うこと?
「これ、私がやりました」
ありがとう。知ってるよ。それ言わなければ株が上がったのにね。
挙句の果てには人が作ったものにさえ評価を求めています。
「この歌はもっと評価されるべきだ」
「この動画はもっと評価されるべきだ」
あなたと作者は親戚なのですか?評価されたら何がうれしいんだろう?
いや、純粋にわからないのですね、私。
自分のために怒ってほしい人
管理職時代にすごく感じていましたが今でも多いです、こういう人。
「製造部の○○さん、ひどいんですよ」
「同僚の○○さんにこんなことされました」
「営業全体がこういう意識では困ると言ってほしいのです」
「あの人のカバンがぶつかったの。痛いよパパ」
それは気の毒に。で、あなたはなにか行動を起こしたり策を考えたりしましたか?
自分できちんと防衛していますか?
私ができることはやりますが、なんでも人に下駄を預けるのはいかがかと思います。
自分のために人が怒ったり戦ったりすることで溜飲が下がるのかな?下世話だな。
おおげさかもしれませんが、こういう考えが戦争の種になっているのではと思ってしまいます。
書きたいことを書いたらスッキリするかなと思ったら、それほどでもありませんでした。
まあそれも日記やブログの限界なのかな?