先日の記事で金田一秀穂先生のラジオ放送について書きました。
なんだかその後もこの国語学者先生が気になっていて、時間のある時に調べていたのです。代々続く国語研究の大家に生まれてその道を継いだことは知っていましたが、その人となりの背景がわかりました。
小さい頃から老成しているといわれて、“諦める、努力しない”が僕の信条と語る金田一先生。
ネフローゼ症候群という病気で小学校時代に長期の入院をして、同じ症状の患者さんが何人も死んでいく。それは努力しないから亡くなるのではないのです。
がんばっても本人の力ではどうしようもない。少し良くなっても次の日にはまた悪くなる…。
「努力は何の役にも立たない。無駄だ」。10歳でそう諦観してから、諦めることがちっとも嫌ではなくなったそうです。退院できたのはちょうど薬が発明されたから。ただ運がよかっただけ…。
だからご自分のお子さんが勉強しなければいけないとかちっとも思わないそうです。
ただ元気で、運動会に出てかけっこができて、自転車で転んで擦りむいて…。
「ああ、幸せだなあ。」運動会で駆け出した姿を見て涙が出たそうです。
現在、金田一秀穂さんのお子さまは高円寺でおだんごの美味しい和菓子を営んでいるそうです。国語学者を継がなかったことは残念でもなんでもなく、「やりたいことをやれて良かった」とたいへん満足そうな金田一先生。
そんな国語学者のことばには、何か血の通ったものを感じます。ラジオでも仰っていました。
言葉もいいけれどそれ以上に「気配」というものが大事なんだと。話し言葉には気配があります。手書きの手紙にも気配というものがあるんです。でも電子メールにはそれがありません。リモートも決して気配の伝わりやすいメディアとはいえません。
このコロナ禍で言葉が変に強くなってしまったのは事実。私たちのコミュニケーションでは本来、お互いの気配が重要な役割を果たしていたのに、リモートでは言葉だけになってしまう。効率的かもしれませんが、ある意味危険だし、面白くない。
いろんな課題がありますので、これからの人に託す部分は多いと考えます。
それでも金田一先生の温かい言葉のように、何か滋養になるものがあれば取り入れてくれればいい。そんな思いでこの記事を書き終わりました。