デザイナー羊男の毎日

日常の「気づき」のおはなし。ごゆっくりどうぞ。

叱ること、教えること

長年同じ職場で働いているとそれなりに「人に教える立場」になります。

それは一般的な会社もそうだし、コンビニやファミレスのアルバイトでもそうかもしれない。私はデザインというちょっと特殊な仕事に就いているつもりでいましたが、どんな仕事でも「教える」というのはややこしいものだと思います。

教え方といえばよく「叱る」と「怒る」の違いについて言われますね。

 

「叱る」は相手のことを成長を思って注意やアドバイスすること

「怒る」は自分の感情にまかせて相手を叱責すること

 

子供の教育でもよく言われることですが、実際にはそんなにスパッと割り切れるものじゃありません。人間だもの、感情だってあるしすべて理想的にはいきませんよ。

ただ自分的に気を付けているのは、いろんなことを持ち出したり人格を否定するような言葉を使わないということです。

 

教えられないこともある

これ、教えている人なら感じませんか?教えられないことのほうが多いと思うことも。テクニックや操作手順みたいなものなら大丈夫ですが、経験や思考を重ねることでしか得られないものは確実にあります。

 

自分で見つけないと結局のところわからない

そして、人に教えられたことはそのままでは定着しないのです。だから、教えるというのは「自分で見つけさせる」こととも言えます。自分で見つけたことは、腑に落ちているので応用が利く。応用が利かなければ本当の意味で「覚えた」ことにはならないのです。

私が人になにか教えるときに、もう一人の自分が俯瞰して見ていることがあります。

驚くほど大してことは言っていません。そう、たぶんですが大したことなんか言っちゃいけないんだと思うのです。

 

できるまでやる

そして、結局はこれなんです。これは何度も書いていますが、どんなことでも「できるまでやればできる」のです。逆もまた真なり。できないのは「やっていない」ということ。そんな時ですかね。「叱る」のは。

 

私のような未熟者でも、経験則としてこんなことを考えて行動してきました。

もし、何かの参考になりましたら幸いです。

 

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