デザイナー羊男の毎日

日常の「気づき」のおはなし。ごゆっくりどうぞ。

人によって違う美的感覚

私は今、マンションというカテゴリーに属する集合住宅に住んでいます。

一軒家に比べると共有部分を各世帯で分担できるので安価に買うことができ、そのぶんを部屋の内装に充てることができます。実際一軒家を買ったけれど、家具やカーテンを買うお金をケチったり家電を節約したりという話は噂に聞きますね。あと、余談ですが1年ごとの補修工事もバカにならない。10年あっという間ですからね。

マンションにはそういった経済的メリットがあるのですが、私のようないわゆる「こだわりの強い人」には我慢を強いられることもあるワケでして。

 

デザイナーは因果な商売ときたもんだ

前にも書きましたが、私が住んでいるマンションを作っている「イニシア」というデベロッパーは非常にデザインコンシャスな企業です。単に見栄えをよくする上辺だけのものではなく、意識の高いコンセプトに裏付けられているのがお気に入りの理由でした。

とはいえ、建築するタイミングによってコンセプトにも変化はあります。今なら在宅がやりやすい間取りかな。

私が購入した当時は「家族同士がコミュニケーションを取りあえるコミュニティ空間」みたいなのがブームだったかと。それはそれで、私としても賛同できるものでした。ただ、パンフレットに載っているようなイメージがそのまま現実にはなりません。

共同で使うエントランスは、「ここで飲食をしない。使ったら片付ける。」という赤字の張り紙(書体は創英角ポップ体)が貼られ、美しい石畳の上には玄関マットが3枚敷かれました。

いや、みなさんとてもいい方たちなんですよ。偏屈な私が悪いのです。

たぶんデザインというちょっと特殊な仕事をやっているせいで、感覚が一般の人よりも過敏になってしまったのでしょう。

しかし、白木のルーバーと御影石と全面ガラスの織り成す美しいエントランスに自転車が並んでいる様子はなんだか見ていて悲しくなります。それは「美しさ」を共有できなかったという残念さなのかもしれません。

生活ってそういうもの

たぶんウチに小さな子供がいたら、言っていることも変わったかも。「しょうがないじゃない」という気持ちも十分にわかります。日本の東京という住環境を鑑みれば、そこはある程度の譲歩は必要かなあと。

だからといって「ああ、カナダかスイスで暮らしたいなあ」なんて現実的じゃありませんしね。共感してもらえないもどかしさはありますが、生活ってそういうものなんだと開き直る強さも必要なのですね。