デザイナー羊男の毎日

日常の「気づき」のおはなし。ごゆっくりどうぞ。

タバコのない世の中ってどうだろう

私はもう禁煙15年くらいになります。

吸い始めたのが早かったので(詰襟の頃、もう時効ですよね)、けっこう吸っていた時期は長いかも。値上がりと「タスポ」のあたりからタバコに付随する行為が面倒になったのがやめた理由です。今でも年に数回「もらいタバコ」しますが、依存性はまったくありません。なんだかあまり情熱のない「薄い」人間のような感じがしますね。

 

タバコがなかったら

吸っていたから言うわけじゃありませんが、タバコのない世の中ってなんか息苦しくないかなと思いますね。必要なもの、体にいいものばかりになってしまうことにちょっと抵抗があります。文学作品の半分くらいはタバコがなかったら生まれてこなかったんじゃないか?とも言える。そんな嗜好品としてのタバコという存在が私は好きなのかもしれません。私は吸わないのですが。

 

これは私の印象なのだけど、世間はタバコを「敵」として見ていませんか?

敵となるとすべてが悪いことのように感じる。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いということです。

 

受動喫煙とか周りに迷惑かけるのはマズイし、吸い殻で街を汚すのもよろしくない。

それはマナーの問題です。

身体にとって百害あって一利なし、がんの温床になる。

それは自己責任の問題です。

どうもいろんな問題をごっちゃにして「とにかくタバコはいかん。なくす方向で」とヒステリックになっているような印象を受けます。

あなたは一方的に「クルマに乗るのをやめなさい」と言われたらどうですか?

同じような理屈で、クルマも公害や事故を発生させていますよね。

 

必要なもの、不必要なもの?

すると「いや、クルマは日本経済に必要だから」と言われることでしょう。

役に立つものは、多少の不備があっても人々に擁護されます。会社でも切り捨てられにくい。確かにタバコには擁護されるだけの「役に立つ」部分がありません。

そこが私がタバコの肩を持つ理由かも。

私が生業にしているデザインや、小説・映画・音楽だって「絶対に必要か?」と言われると「うーん」とうなってしまう。権威のある賞を獲るようなものならいいけど…。とかいわれても。どこからが「役に立つ」ものなのかはラインが難しいと言わざるを得ません。社会に認められるための努力を惜しむつもりはないので、「持ちつ持たれつ」の関係を維持していきたいなあと思う今日この頃ではあります。