試しにネットで「失敗から得られること」と引くと、ほぼ100%肯定的な意見として「人は失敗から学んで成長していくものだ。」と諭されます。
私がここで言おうとしているのは「本当にそうか?」という疑問と、「人は成功から学んでいくのではないか」という仮説です。異論反論あるでしょうが、まあ一つの戯言として聞き流してください。ほんの思いつきですので。
ちなみに、私自身それほど輝かしい成功体験があったわけではありません。
「結果出してから言えよ」。ごもっともです。それでも一応30年以上サラリーマンを続けてきたので、ささやかながら経験則として書くことにします。
「失敗から学ぶ」ということ
例えばスポーツを始めるときにあなたは、周りの経験者の失敗例や反省点を聞き、同じ轍を踏まないように気を付けようと考えますか?それとも一流のアスリートのフォームを真似てみますか?
前者が「守り」とすると、後者は「攻め」の施策と言えそうです。
一見、どちらも有効な気がしますね。しかし、ここで考えてください。
「守り」を得ようとしても、どこまで聞いて回ればいいのか?わからなくないですか。
そしてその意見が本当に正しいという保証はありますか?
逆に「攻め」を得る方法はたった一つです。成功している姿がそのまま「そのやり方が正しい」という保証です。
これは人を参考にするケースですが、自分で体験していくとしたら失敗は大きなリスクにもつながります。まあリスクのないところに成功はないとも言えるわけで、「失敗しなきゃわからないだろう」ということも、もちろんよくわかります。でも、最後に成功してこそスキルは定着すると思うのです。
ここで私が言いたいのは、「なるべく多くの経験を積み、成功から学べ」ということ。
1000回失敗したのではなく、1000のステップを踏んだと思うことです。
時間的に経験を積むことができないなら、シミュレーションを重ねること。
私が仕事でデザインするときに最もよく使うソフトはアドビのイラストレーターなのですが、制作よりもシミュレーターとしての用途が圧倒的に多いのです。
さらに、他者の成功体験をそのシミュレーションに組み込むことが効率的に「成功」を呼び込むことと言えそうです。
なんだか「苦しいことが人を成長させる」という風潮があり、気持ち悪いなと思うことが多々あります。楽してなにかが成しえるかと言えば「否」ですが、「どうせするなら、楽しい苦労」をモットーとしていきたい今日この頃です。