その節はAKBファンのみなさまには、大変失礼いたしました。
いきなり結論から初めてみました。(帰納法?)
これは15年以上も前のお話になります。AKB48創設時のことですね。
当時は当然守秘義務等ありましたが、もう時効でしょうからお話します。
私は印刷会社のデザイナーで、間違ってもそんな華やかな世界には近づけないポジションにいます。どうした風の吹き回しか(言葉合ってます?)、私のもとにAKB48のロゴデザインの仕事が舞い込みました。確かステージの照明を担当している会社と私の会社に取引があり、そこからのオファーだったと記憶しています。
といっても当時はAKB48なんて影も形もない状況です。「秋元康さんが新しいアイドルの形を模索している。劇場型アイドルで、そこに行けば会えるアイドル」というお話です。正直「なんのことやら」です。今なら「すげえ、こんなのやらせてもらえるの?」と興奮するところですよね。まあ、秋元先生は当時ももちろんビッグネームで「おニャン子くらぶ」の例を引くまでもなく芸能界のドンです。やっぱりときめきましたし、声がかかること自体に驚きました。
顧みれば「デザイン会社や広告代理店ばっかりじゃなく、違うデザインを見てみたい」という軽い気持ちだったというのと、照明の会社の「秋元先生への手土産にちょっとこいつに作らせてみるかという」本気度の低い思いつきでした。
しかし当然そのころの私(今より15歳若い私)は、この依頼に燃え、我が身の幸運に震えました。
10案ほど作り、その中から3案選んでプレゼン。
①ガーリーな感じ フリルやリボンをあしらった若干少女趣味なもの
②女の子3人のシルエットを用いた少し落ち着いたイメージ 文字はTimes系
③シンプルで普遍性の高い文字のみのデザイン
ここで実際のデザイン案は載せられません。すみません。
結果は当然の落選でした。ほとんどコンセプトも伝えられないままの参加ですので仕方ないともいえますが、言い訳ですね。
採用案を初めて見たときは「ああ、完敗だ」と素直に思えました。
そう、デザインってこういうことなんです。決して自己表現なんかではなく、対象物(この場合AKB48)がこれからどう成長していくか?デザインをどう展開していくか?を考え、伸びしろまで設計していくことなんです。彼女たちの写真や映像と合わせたときの完成度。そこまで私の考えは及んでいませんでした。
ロゴデザインは不採用でしたが、劇場のカードやちょっとした印刷物はやらせてもらえることになりました。当時AKBはチェックを多用したデザインでした。
デビューすると、「後学のため」と称して、自腹で秋葉原のAKB劇場にも行きました。前田敦子や大島優子がいたかは、全く覚えていません。たぶん一期生なのでいなかったでしょうね。
私はその時、ステージよりもファンの熱さに圧倒されていました。なんとなく見物に行ってしまったことに、申し訳ない気持ちになったことを今でも思い出します。
いたたまれなくなった私は、10分もしないうちにそそくさと帰路についたのでした。