今、渦中の小山田圭吾氏を見ていて、思ったことを書きます。
時事ネタはあまり書いてこなかったのですが、今ここで「起こったこと」に対して観客の私たちがどう思えばいいのか、を考えたいと思います。もちろん正解はありません。
なんとか、がんばって単なるゴシップにならないよう着地点を見つけるつもりです。
アーティストの不祥事と音楽の関係
川谷絵音の不倫、槇原敬之のクスリ、そして小山田のイジメ。今までも不祥事によって社会的制裁を受けたアーティストはいました。華やかな業界なので特に目立つのかもしれませんが。
彼らの不祥事と、その成果物(音楽)には因果関係があるのでしょうか?それは、誰にもわからないし、たぶん本人も。
だからといって、「音楽に罪はないんだから」と容認すべきとは考えていません。
ただ、私たち観客とアーティストの接点はやはり「音楽」であるべきと思います。
アーティストの私生活を評論したい方は、ゴシップとしてすればよろしい。
私はそこに興味がないし、今回の小山田案件のように公式に発表されたものも「一つの事件」として別軸でとらえています。
世の中にはいろんな人がいますので、「そんな不祥事をおこすやつの音楽なんか聴きたくない」という人もいることでしょう。そういう人は買わなければいいだけの話です。
選挙と同じで、その音楽を「選ぶ」のは私たちなのです。(ただし、不祥事アーティストの音楽を聴きたくない人の耳に、その音がはいらないような配慮は必要ですね。)
CDや配信の非買運動をしたり、アーティストの過去を暴いてヒステリックに拡散するのは自由ですが、あまり意味のある行為とは思えませんし時間がもったいない。
その労力を、新しいアーティストの魅力を見つけることに充てたほうが世間は明るくなりそうです。
開会式で彼が選ばれたこと
また、今回のような公の場で使う音楽であれば組織委は人選のプライオリティを完全に間違えていますね。小山田氏の問題は、私でさえ知っていた「周知の事実」なのですから。
まずは透明性の高い音楽家を選び、そこから音楽の嗜好性に及ぶべきだったと。
例えが陳腐かもしれませんが、小山田氏と昔ユニットを組んでいた小沢健二のほうが100倍適任だったと思います。繰り返しますが、趣向性よりも人選を優先すればです。
素人の私が見てもそう思うし、ほとんどの人が素人なのです。
(そこにはプロの裏付けが担保されている必要はあります。誤解なきよう)
ロゴ問題から始まり、ケチつきまくりのオリンピック・パラリンピックですね。
今となっては「無事に終わってくれればいい」というのが正直な想いです。