はてな20周年おめでとうございます。では、「私とインターネット」について書きます。
コミュニケーションの変遷
「文化」を語るにあたり重要な要素と思われるのは、やはり「文字」でしょうか。
このテキストも「文字」を使っていますしね。こんな便利な道具が使える世の中に生まれて本当によかった。もっと言えば「地球に生まれてよかった~!」。
話を戻しましょう。では「文字」の発明以前には「文化」はなかったのでしょうか。
いえいえ、むしろそれ以前のほうが圧倒的に永く「文字」に代わるなにかでコミュニケーションをとっていたはずなんですね。
私思ったんですけど、コミュニケーションの歴史は前に進んでいるように見えて、もとに戻ってきているのです。ちょっと意味わかんないですね。説明します。
人のコミュニケーションって、
【動き】ジェスチャーや踊り
↓
【言葉】しゃべりや歌
↓
【文字】紙に記録
↓
【音声】ラジオ
↓
【映像】映画、テレビ
と来たじゃないですか。で、携帯電話やインターネット以降は遡っていくんです。
↓
【音声】電話
↓
【文字】メール
↓
【言葉】音声入力
↓
ほらね。ま、若干操作した感はありますが(笑)。
まじめなことを言えば「人間の欲求はどんどんプリミティブ(根源的)になっていく」ということです。
その中で、異彩を放っているのはやはり「文字」。コミュニケーションの進化を洗練されたものにしているのは他ならぬ「文字」であると思うわけです。
私と文字
「文字」は私にとって重要なツール(道具)であると同時に、感動や勇気を与えてくれる存在であり、また使い減りのしないオモチャでもありました。
現実には無理ですが、人間が読み書きに使う文字量を計測したらけっこう上位にいくのではないでしょうか。「知らんがな」と言われそうですが。
「趣味は読書です」といえば、「たくさん本を読んでいるんですね」と思われます。
しかし実際に私の本棚にあるのは100冊程度。読んで印象に残らないものや、オチのある推理小説は読んだら捨てています。私の本棚に残っているのは「何度も読みたくなるもの」だけ。
日本語のきれいな文章(小説でもエッセイでもかまいません)の文字を追っていくことが読書の楽しみの大部分と言ってもいいです。好みでいえば田辺聖子や村上春樹、小川洋子。
同じ本を何度も読むことで、自分の中の文章に関する土壌が出来上がった気がします。
いわゆるタレント本を批判する気は毛頭ありませんが、いかにも難しそうな言葉を操って「どや?」というような小説は好みではありません。これは音楽と一緒で「好み」は人それぞれなので、いやなら読まなければいいだけの話です。そこが文字の良さでもありますね。
「書く」といえば学生時代に比べて今のほうが量は増えていると思います。昔は手書きだったので「書く」行為のたいへんさが「たくさん書いたなあ」と思わせていました。細かな推敲を含めれば今のほうが圧倒的に多い。
仕事はデザイナーなのですが、だんだん文字を書くことが必須となってきました。この業界も見た目からコンテンツ重視になっているということです。
「書く」ことによって、考えをまとめたり真理を導き出したり、言いにくいことを嘆いたり、なんとなく幸せな気分を伝えたり、そんな感じですかね。
私とインターネット
そして、今こうして”はてなブログ”に投稿しています。
デジタルオンチの私が、「やってみようかな」と思えたのは「文字」という仲人がいたからです。「思ったことを書けばいいんだ」ということが、敷居を低くしたんです。
始めてみると、自分が文字に対して意外に淡泊なことに気づきました。それは、たぶん「習慣」になっていなかったから。「話すように書く」という領域に達するには、頭とキーボードが直結しなければなりません。
ただ、私には書きたいことが次から次へと、それこそトレビの泉のように(何がそれこそだ)湧いてきています。これを簡単に受け入れてくれるのはインターネットという受け皿しかありません。苦手意識は置いておいて、得意なことを伸ばしましょう。やればできる子なんです、あなたは。(誰だ?)
ネットリテラシーのない私がプログラミングの世界にズブズブ入っていく気はありませんので今後は皆さま、文字の世界でお会いしましょう。
ミクシィ20周年、本当におめでとうございます。あ、間違えた。