最初に言っておきますが、私はミニマリストではありません。
憧れというか、「こんな生活がしてみたい」という興味はあります。たぶん続かないでしょうね、いや絶対。これ書いてる机の上がもう汚いもの。
ミニマリストってどんな意味だっけ?と少しだけ調べたら、人によってそのとらえ方は様々でした。
もとはアメリカの富裕層が持ち物をできるだけ減らし、必要最小限で暮らすことを考えたと。 自分にとって本当に必要な物だけを持つことでかえって豊かに生きられるという考え方で、大量生産・大量消費の現代社会において、新しく生まれたライフスタイルらしいです。
日本のミニマリストさんは、ちょっと極端な方が多く本当に何もない部屋で暮らしている様子をYouTubeなんかで見ることができます。刑務所とか独房とか揶揄されるくらいのストイック組もいれば、家具と植物は気に入ったものを置き、あとは極力置かない限定組、ライフスタイル(家族の増減等)に合わせて変えるが基本シンプルという変化組。あと最近よく見る「もうミニマリストはやめました」というリタイヤ組もいます。
もし私が目指すのなら、その目的をまずは明確にしたいです。
なんのために「ミニマル」に暮らすのか?
これはもう、スティーブ・ジョブズの例を引かないわけにはいきません。ジョブズ師匠の教えを活かす生活が、わたしにとってのミニマルライフなんです。
それはズバリ、「何かに集中するための環境つくり」なんですね。
彼のファッションといえば黒のタートルネック。同じものを何枚も持っていたようです。
それは、とにかく仕事に集中したい、服を選んでいる時間と労力を仕事に注ぎたいという理由です。仕事って選択の連続ですから、その回数を極力減らしたかったんでしょう。
ジョブズの場合は「仕事」だったわけですが、そうでなくても構わないと思います。
その人にとって本当に集中したいこと、楽しみたいことが「洋服を選ぶこと」だったら、仕事を削ったっていいんです。極端な話。
同じ文脈で、部屋をシンプルにすること自体が目的になっている限り、どこかで限界がくるのかな?と思うわけです。
マルチタスクを避けることができれば、特に私のような能力の低い人間でも能力を遺憾なく発揮できるし、そうでなくても快適な暮らしは手に入るのでは?という結論に達しました。
いたずらに物を少なくするのではなく、ミニマリストになる理由をしっかり再確認すべきですね。まあ、ミニマリストになるのなら、ですが。