今日も絶好調です。朝6時からブログ書いています。
さて、「幻の庶民」の話です。
これは確か、ナンシー関が命名したんです。ナンシー関は私が尊敬する、(数少ない)影響を受けた作家です。
テレビ批評で名をはせた彼女の特徴といえば「辛口」ということになるのでしょうが、私の見かたは違います。彼女の作風は一見「辛口」のように見えますが、それは屈折した彼女のテレビへの愛情に他なりません。
そして誰に対しても公平で実は謙虚な人でした。切り口の鋭い表現は無駄なく本質を言い当て、しかもちゃんと「おもしろい」。
作品の核を成しているのは「批判や批評」ではなく「観察と分析」だと私は思っています。
テレビを見ていて、なんとなくモヤモヤしていた気持ちを、「あ、そういうことだったんだ!」と気づかせてくれる。本当に稀有な作家です。
糸井重里は彼女の記事を読んで(あまり好意的なものではない)ショックを受けたことがほぼ日を始めた一つのきっかけだと、「ほぼ日刊イトイ新聞の本」で語っていますし、彼女のファンの芸能人、著名人は他にも多くいます。
残念ながら逝去されてしまいましたが、今でもその著作で私に影響を与えています。
で、「幻の庶民」です。これは、「たくさん存在しているはずなんだけど、どこにいるのかわからない人たち」のこと。
例えば、B'zや浜崎あゆみのCDを買っている人って私の周りには一人もいないんです。
でも世間ではすごく売れていることになっている。「本当にこの人たち(CD購入者)は存在するの?」と純粋に思ってしまうのです。浜崎あゆみに関しては、私、曲も全く知りません。あまりラジオでかかることもないし、意外とテレビで見ることもない。決して嫌いということではなく、接点がないまま今まで来てしまったということです。あ、そういう意味では嵐もそうです。
私と同じような人、案外多いんじゃないでしょうか?そうでもないか。
話題は全然違いますが、猛威をふるっている「コロナ」だってそうです。
様々なメディアで恐怖を煽っているコロナですが、テレビを消したらそれはあたかも「なかったこと」になりませんか?もちろん、街に出ればみんながマスクをしていますし、政府や自治体の声は否応なしに耳に入ってきます。気を付けるのは当たり前なんですが、必要以上に過敏になることは自分たちの世界を狭めることになるし、なんだかコロナの思うつぼのような気がします。
楽観的になれと言っている訳ではないのですが、もっと違った接し方があるんじゃないのかな?とナンシー関に聞いてみたい気持ちです。