デザイナー羊男の毎日

日常の「気づき」のおはなし。ごゆっくりどうぞ。

TSDO展に行ってきました ~佐藤卓のデザイン~

佐藤卓

私にとって、スターであり、師であり、いつも気になっている人。

ちょっと語弊があるな。

 

スターといってもどこか身近に感じられるし、すごく尖っているわけでもない。デザインはフラットで生活の中に溶け込みながらも、良質で深遠な考え方やクオリティを提供し続けるクリエイターです。

 

師といっても実際にお目にかかったことさえないし、ホント雲の上の人。でもデビューから鮮烈な印象があって、いつも追っかけているうちに私の先生のような存在になっていました。

 

いつも気になっている人。これは掛け値なしにそうですね。そして最も重要なことかもしれません。モチベーションを落とすことなくいつも新鮮な驚きを与えてくれる。20代や30代のフレッシュなデザイナーよりも前を行っています。それでいて、考え方はいつもリベラルで消費者やクライアントの幸福を願っています。

本当に尊敬しています。

 

ちょっとおしゃべりが過ぎますね。好きな人のことだから。

TSDO展、GGG(銀座グラフィックギャラリー)で開催中です。

私の稚拙な文章よりも、これを見ていただいたほうが1000倍わかります。

TSDOは佐藤卓が主宰するデザイン会社

会場(これは地下)の様子

さまざまな業種の仕事をこなします。どれもクライアントととことん話し合って、最適な答えを導いています。

明治「おいしい牛乳」パッケージ

見たことありますよね。なんてことはないデザインですが、驚くほど考え抜かれています。

SBの調味料パッケージ

モダンやおしゃれとはほど遠い、でも「唾液の出る」デザイン。ホントに重要なことってなんだ?

SBの調味料瓶

シルエットが「鍵穴」の瓶。料理のカギですから。人にも見えるな。集めたくなるデザインです。

ラベル用紙

こんな消耗品さえ「もっと使いやすく」。たしかに積んだときにも視認性が高く、知りたい情報が一目瞭然。で、ギリギリ野暮ったくないんだなこれが。

 

若干、業種が偏りましたがそれぞれに制作の「こころ」が明示されています。どれもしっかり読んでいたので閲覧に2時間以上かかりました。

最後に、ちょっと変わった仕事の写真を載せて終わります。

佐藤卓の個展ポスター

銀座松屋のリニューアルイメージ

これは、全部衣服やアクセサリーでお弁当を作っています。

 

企画展「Water」の一場面

 

自然界にない色

f:id:hitsuji360:20220601062406j:image

今、東京駅です。

東海道線のホームからは、東北新幹線がよく見えます。これは「こまち」じゃなくて「はやぶさ」かな?詳しくは鉄道オタクのみなさまに預けるとして、気になったのはこの色なんです。

ちなみに今朝6時半なのですが、文字通り「目の覚めるような」眩しいピンク。

この色ってあまり自然界では見ない色なんですよね。

「ピンクのお花があるじゃない?」

いえいえ、このマゼンタ100%はどこのお花畑で探してもないかと。

だからこそ、私がデザインするときには「パッと目立たせたい場面」で使うようにしています。非現実感を演出するのにはいい色なんです。ちょっと最近頻度が増えてきて、「いかんなあ」と思っていますが。

 

この色をなぜ東北新幹線に?

ついでにその上のブルーグリーンも自然界ではあまり見ないし。

 

東北新幹線には以前出張でよく乗っていました。本当に素晴らしい景色のなかを疾走するこの列車は、それだけでも特別なものです。田園風景、美しい森林、雪景色。

そこに溶け込むのもいいけれど、そのなかで異彩を放つ新幹線をデザイナーはイメージしたのじゃないかしら。ほら、新幹線はすごい速さで移動するものだから、一瞬の閃光のように現れて、またもとの雄大な自然に戻る。

そんなプレゼンテーションを勝手に想像していたのでした。

 

なんてことないデザインVol.1 ~アレッシィの掛け時計~

前に書いた記事で、わりと気に入ってるものがあります。

hitsuji360.hatenablog.com

 

ここに書いた「アノニマスデザイン」は、気づきにくいけれど私たちの生活のいろんなところに溶け込んでいます。そりゃそうだ。そういう性格のデザインですからね。

私はそんな控えめで遠慮深い「モノ」たちが大好きなのです。

というわけで、「なんてことないデザイン」というカテゴリーを作りました。

 

私が買ったものや街でみつけたものを取り交ぜて、簡単な解説と私の思いを書いていきますね。

 

アレッシィの掛け時計

第一弾はこれ。わが家のリビングルームにあります。

ほんとに存在を忘れてしまうくらいの「なんてことなさ」。

イタリアの巨匠カスティリオーニがピエル・ジャコモとともに展示会に出品した作品といわれています。いろんな色のバリエーションがありますが、その中でも存在感のないものをチョイスしました。

え?もっとシンプルでアイコン的なものがあるでしょう、無印良品とか。という声が聞こえてきそうです。そう、シンプルなものはあるのですがそのシンプルさが主張してしまうのですよ。「ほら、すっごくシンプルでしょう」ってね。

 

この時計にはそれさえもありません。しつこいようですがこれが「アノニマスデザイン」であり、これはわかりやすい例です。それを作るのはすごい完成度と洗練、そして社会的既視感を必要とする。

覚えていないですか?ファミレスとかでよく見るとあったりしますよ。

 

でも、ここまで言っておきながら実はこのデザイン「ひねり」があります。

この時計、どこか1か所間違いがあるのです。さあどこでしょう?

 

 

 

 

ローマ数字の4の部分。これ間違っているのです。正解はⅣです。

これは時間をわかりやすくするための施策であり、巨匠カスティリオーニの茶目っ気なのかもしれませんね。

 

 

 

犬の能力

ここのところ言い訳っぽい記事が多いと自覚しながら書いています。

ちょっと仕事が忙しくなってきましたので、ショートな感じで(ヘアスタイルか)まとめていきたいなと。

 

さて、私犬の能力ってすごいなと思っています。

盲導犬介助犬は言うに及ばず、牧羊犬、警察犬、麻薬探知犬、セラピードッグ…。

いや普通にお手お座りだけでも、人の言うことをある程度理解して従う動物なんて他にいないんじゃないかな?ま、いることはいるけどなんか次元が違う気がします。

 

そして、その能力がどれも「人間では及ばない」ものなんですよね。

もっとリスペクトされるべきだな、犬。

 

で、その能力の根底にあるのが「従順である」ということ。

だってそもそもオオカミの末裔である犬は、獲物をかみ殺すくらいの顎の力や牙を持ち合わせているのですよ。どんな小さな犬だって、殺さないまでも致命傷を与えることはできるはず。いざとなれば、意にそわない人間の首筋に食らいつくことだって…。

その牙を隠して、文句も言わず(そりゃそうだが)人間の役に立ってくれる。

 

そこにこそ底知れない能力を感じてしまうのです。まず、とてもとても、私たち愚かな人間どもは犬の能力に及ばないでしょう。

 

能力があったらひけらかす。自分の立場ばっかり主張する。ちょっと気を許すと余計なことを言う。いや、お犬様の爪の垢があったら飲ませたい、いや飲ませてもらいたいものです。

そして私が羨望する一番の能力は「話さないで黙って聞くこと」。

昔、犬を飼っていましたが彼、彼女にどれだけ救われたか。

 

人間はホントに余計な事言うからなあ。

日曜日のブログ ギターソロを飛ばす人

えー、これから土日のブログはちょっと手を抜こうかなと思っています。

いや、手を抜くとは人聞きが悪い。「気軽に読める」軽い読み物にしたいなと思いまして。

いつも同じテンションで続けていくのは、書くのも読むのもしんどいのじゃないでしょうか?

あと、基本土日はパソコンに向かっていないし、向かいたくもないのでスマートフォンによる入力を是とします。そうすると自然と難しい内容は打てないんですよね。

あとまとまった量も難しい。ちなみにこの記事はパソコンで打っていますが。

まあそもそも言うほどたいそうな記事は書いていないので、こんなに予防線を張るのも「なんだかなあ」とは思います。

なんにせよ、そういう感じでしばらくは書いていこうかなと。

 

さて、でなに書く?

そうそう最近の若い人は配信で音楽をサクッと買うので、アルバムで聴くということが少ないと聞きました。そうか、シングルのおいしいところだけ聴きたいんだね。ショートケーキの苺だけ食べるようなもんですな。

無駄がなくてそれもいいのかもしれません。人生は短い。

 

でも、先日も書いたけれどコース料理の良さも味わってほしいとオジサンは思うワケです。

hitsuji360.hatenablog.com

 

隠れた名曲というのもアルバムにはあるんですよ。

 

あと、ギターソロを飛ばすというじゃないですか。曲聴いてて、ギターソロが来たら早送り。「ホントかよ」と。だるいのかなあ、ギターソロ。

まあカラオケならわからんでもないけれど、曲の一部分ですからね。私なんかギターソロが来たら「やった!」という曲がいっぱいありますよ。今やってる映画「トップ・ガン」の主題歌「デンジャーズ・ゾーン」なんかその最たる例です。

 

たぶん、曲の傾向が変わってきたのでしょうね。ロック全盛ではないし、ポップで踊れる音楽が「時代の気分」なのね。

 

と書いてきて、あんまり今までと変わってないことに気づきました。

 

いや来週からもっと軽くします。

長生きすれば傷多し

長生きすれば傷多し、でも早死によりはマシかもしれません。

昨日の記事はちょっと生々しい感じで心がざわついたりしたのですが、後で読み返しておもしろいのは、こういう「傷」のあるものなんだなあ。当たり障りのないものはかんたに書けるけれど、あんまり面白くないのであります。

だからといって、毎日傷を負っていたら、体がもちません。絆創膏いくつあればいいの?って感じ。ま、絆創膏で済むくらいの傷なら良しとしましょ。

では、世に言う「おもしろい小説やエッセイ」って書いた人はなかなかの重症なんじゃなかろうか?他人事ながら心配です。

ま、何に付けプロってすごいよなあ。

そして身を削ってこそのプロとも言えそうです。デザイナーだってそうなんだから。

おっと、この話はまたあらためて書きます。

包帯とガーゼを用意してね。

 

今日は書きたいことを書く

何かを吐露することは、それだけでたぶんストレスの発散になるのではないかなと思います。日記の効用もそういうものが多くを占めているような気がするしね。

「人に読まれない」のが日記の特徴ではあるけれど、本当にそういうものが存在するのかちょっと疑問ではあります。どこかで「誰かに読んでほしい」と思っていないと文章って書けないのじゃないでしょうか。

毎日更新しているこのブログも、やっぱり不特定の誰かに向けて書いています。いつもはネタどうしようかとか汲々としているのですが今日は何もない、ただ自分の感じていることを書いてみようかなと。これは不特定の誰かだからこその所業ではありますね。

 

承認欲求の強い人

ここ数年なのかな。人がすごく「認められたがっている」状態にあります。

SNSの「イイネ」の数云々というのは、もう手垢にまみれている感はありますが、とにかくいろんなところで「私を認めてください」と非常に五月蠅い。

「私はこんなにがんばっているのに」

そうだね。でもそれ、人に言うこと?

「これ、私がやりました」

ありがとう。知ってるよ。それ言わなければ株が上がったのにね。

 

挙句の果てには人が作ったものにさえ評価を求めています。

「この歌はもっと評価されるべきだ」

「この動画はもっと評価されるべきだ」

あなたと作者は親戚なのですか?評価されたら何がうれしいんだろう?

いや、純粋にわからないのですね、私。

 

自分のために怒ってほしい人

管理職時代にすごく感じていましたが今でも多いです、こういう人。

「製造部の○○さん、ひどいんですよ」

「同僚の○○さんにこんなことされました」

「営業全体がこういう意識では困ると言ってほしいのです」

「あの人のカバンがぶつかったの。痛いよパパ」

それは気の毒に。で、あなたはなにか行動を起こしたり策を考えたりしましたか?

自分できちんと防衛していますか?

私ができることはやりますが、なんでも人に下駄を預けるのはいかがかと思います。

自分のために人が怒ったり戦ったりすることで溜飲が下がるのかな?下世話だな。

おおげさかもしれませんが、こういう考えが戦争の種になっているのではと思ってしまいます。

 

書きたいことを書いたらスッキリするかなと思ったら、それほどでもありませんでした。

まあそれも日記やブログの限界なのかな?